2015年11月26日

Coffee Break詩篇・225 私は主を待ち望みます。私のたましいは、待ち望みます。主よ。(詩篇129篇5節〜8節)



 テレビで、老人介護施設の倒産が過去最悪だと報道されていました。ネットにも出ています。
   http://kaigo.suumo.jp/article/news/2015/02/02/2498/

 人生の最後を、介護施設で終えたいと思っている高齢者は多いでしょう。自宅で老後を過ごす場合も、介護施設に世話になりながらと、考えている老人や家族も多いようです。
 福祉施設の倒産というのは、一般企業の倒産と同列に論じられないと思うのです。企業なら倒産によって大きなダメージを受けるのは、経営者、被雇用者(労働者)、株主(資金提供者)でしょう。受益者である消費者は、一時的には不便だったり戸惑ったりするかもしれませんが、同じ系統のほかの店でほかの物やサービスを買う道もあります。
 しかし、老人ホームに入ってしまった老人にとって、ホームの倒産は深刻な問題です。たいていはいくらかのお金を最初に納めています。家も売り払って戻る所がない場合は、つぎを見つけなければいけません。老人にとっては、単純に引っ越しをするだけでも大変なイベントです。別の施設を捜したり、推薦される場所について考えたりする場合も、若い人のような情報力や判断力がありません。新しい環境に慣れるのも大変です。

 これから、どんどん高齢化社会になるというのに、果たして自分の老後はどうなるのか、と心配する人も多いでしょう。

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 私は社会問題にも素人ですから、日々モグラたたきのように起きる社会問題に何かの解決案など出せそうにありません。
 でも、すべての問題に共通している「ささやき」があるように思えます。

 「さあ、大変だ。何とかしろ。おまえはこのままでは滅びるぞ」
 「今こそチャンスだ。こんな時代だから、人を押しのけても一番を取るのだ。もうけるのだ」
 この二つのセリフに続くことばは、共通しています。
「もしひれ伏して私を拝むなら、これら(この世のすべての国々と栄華)を全部あなたに差し上げましょう」(マタイの福音書4章8節)
 イエスが荒野で40日40夜の断食の後に、悪魔が現れてささやく箇所ですね。
 イエスは神ですから、悪魔の誘惑に落ちることはあり得なかったのですが、それでも悪魔は誘惑しています。この時、イエスが断食の後で、空腹であったこと、霊的昂揚の中にあったこと、同時に、ご自分の未来に「王国」を見ておられたことは自明です。この王国は、「この世の物ではない」のですが(ヨハネの福音書18章36節)、肉体を取っておられる神を、悪魔は「人」だと勘違いしたのでしょうか。あるいは、無理かもしれないと思っても「誘惑する」醍醐味を試していたのでしょうか。

 神の子イエスでも試してみようとする悪魔ですから、私たち人間を「誘惑するのは」簡単かもしれません。恐れさせるのです。

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 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。
 たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
 わたしはあなたを強め、あなたを助け、
 わたしの義の右の手で、あなたを守る。(イザヤ書41章10節)

 イザヤ書では、恐れるなという言葉が頻出しています。ヒゼキヤの時代は、北イスラエルが滅びて、アッシリヤの脅威がひたひたとユダ王国を脅かしていました。もちろん、多くの民は、その時こそ、主を待ちのぞんだことでしょう。しかし、「恐れ」に捕らわれた民も王も、やがて偶像礼拝に傾いて行ったのです。(U列王記23章)
 
 これが、ユダ王国の滅亡、民の捕囚生活の遠因になったのは事実です。
 それがわかっているから、ふたたびエルサレムに戻って来ることができた詩人は、歌います。

 私は主を待ち望みます。
 私のたましいは、待ち望みます。
 私は主のみことばを待ちます。(詩篇129篇5節)
 私のたましいは、夜回りが夜明けを待つのにまさり、
 まことに、夜回りが夜明けを待つのにまさって、
 主を待ちます。(6節)

 イラエルよ。主を待て。
 主には恵みがあり、
 豊かな贖いがある。(7節)
 主は、すべての不義から
 イスラエルを贖い出される。(8節)








posted by さとうまさこ at 10:20| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする