2015年11月28日

Coffee Break詩篇・227 彼は主に誓いヤコブの全能者に誓いを立てました。(詩篇131篇1節〜9節)



 主よ。ダビデのために、
 彼のすべての苦しみを思い出してください。(詩篇132篇1節)


 聖書の中におけるダビデの存在は非常に大きく独特だなあと思わせられます。
 Tサムエル記でダビデが登場してから、ダビデという名が何度、聖書の中に出て来るのか私には数えきれません。出エジプト記で、神がイスラエルの民にお示しになった名は、わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神であるでした。(出エジプト記3章6節) このこと自体は、イエス様の時代に至るまでイスラエル人たちにとっては、変わらず彼らの「神意識」の中にあったことでしょう。
 けれども、ダビデがサムエルによって油を注がれたあとは、イスラエルの神とダビデ(の家)とは、切ることのできない契約のなか(親密さ)にあるのがわかります。
 
 ダビデは主の目に叶ったから選ばれただけでなく、ダビデは生涯「主を恋い慕う」人だったように見えます。素朴に熱心に主を見上げて祈る姿は、ゴリヤテとの対戦の時から現れています。サウルに追われる試練の時代に、その信仰はますます精錬され、成長するのです。
 そのことが、次のような誓いをした王の姿として、捕囚期のイスラエル人から思い起こされているのでしょう。

 彼は主に誓い
 ヤコブの全能者に誓いを立てました。(2節)
 「私は決して、わが家の天幕にはいりません。
 私のために備えられた寝床にも上がりません。(3節)
 私の目に眠りを与えません。
 私のまぶたにまどろみをも。(4節)
 私が主のために、一つの場所を見いだし、
 ヤコブの全能者のために、
 御住まいを見いだすまでは。」(5節)

 主のお住まいができるまでは、自分は自分の家に帰らない、自分のための寝どこにも上がらない(新実用聖書注解によると、夫婦の交わりをも慎むという禁欲の表現か「ケンブリッジ旧約聖書注解」)とダビデは誓ったのです。

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 今や、私たちはエフラテでそれを聞き、
 ヤアルの野で、それを見いだした。(6節)
 さあ、主の住まいに行き、
 主の足台のもとにひれ伏そう。(7節)
 主よ。立ち上がってください。
 あなたの安息の場所に、おはいりください。
 あなたと、あなたの御力の箱も。(8節)
 あなたの祭司たちは、義を身にまとい、
 あなたの聖徒たちは、喜び歌いますように。(9節)

 主の住まいを建てたのはソロモンでしたが、神殿建設の道をつけたのはダビデです。
 もちろん、ダビデにもソロモンにも、主が特定の住まいに住まれるわけはないとわかっているのですから、主の「安息の場所」とはむしろ、人が安息を得る場所かもしれません。主はイスラエルの民が、そのように主を慕って足台にひれ伏されることをお喜びになるのでしょう。契約の箱を安置し、祭司制度を整え直し、聖徒たち全員の賛美と礼拝の形を整えたダビデは、たしかに、主が、はじめから「特別に」お選びになった器だったと思われます。救い主イエスが、ダビデの家系からお生まれになるのですから。







posted by さとうまさこ at 09:59| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする