2015年11月30日

Coffee Break詩篇・229 聖所に向かってあなたがたの手を上げ、主をほめたたえよ。(詩篇133篇1節〜3節、詩編134編1節〜3節)



 詩篇120篇から始まった都のぼりの歌は、詩篇134編で終わります。
 詩篇133篇134篇は、共に、3節までしかない短い詩です。
 短い中に、同胞(神の選びの民)への率直で重要なメッセージがあります。
 
 都上りの歌。ダビデによる

 見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、
 なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。(詩篇133篇1節)
 それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。
 それはひげに、アロンのひげに流れて
 その衣のえりにまで流れしたたる。(2節)
 それはまたシオンの山々におりる
 ヘルモンの露にも似ている。
 主がそこに
 とこしえのいのちの祝福を命じられたからである。(3節)

 イスラエル人たちは、最初からイスラエルという家族(兄弟――集団)として、神に選ばれました。ヤコブと共にエジプトに移住したのは、ヤコブの12人に息子達(ヨセフは先にエジプトに入っていましたが)とその家族70人でした。(創世記46章27節)

 四百年後、モーセに率いられてエジプトから脱出したのは、この家族の子孫達でした。神様は、イスラエルの家族がひとりひとり切り離されて住むことは、望んでおられなかったのです。もちろん、それは、たんに血族共同体である利益のためではありません。出エジプトの初めまでは、たしかに「世的な利害共同体」としてのヤコブの家族たちだったでしょう。彼らに、イスラエル人の血を自覚させたのは、むしろ「奴隷」という階級に括られていたことと言えるでしょう。

 ところが、彼らは、自分たちの奴隷の境涯の苦しさを、神に訴えた時、主は、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」として、モーセに顕現して下さったのです。そうして、イスラエルの民を、イスラエルであるということで、すべて、いっせいにエジプトから導き出して下さったのです。この時、疑う者、迷う者、すぐに「つぶやく者」、またその機に乗じて、イスラエル人といっしょに脱出してきた外国人もいたと書かれています。

  けれどもイスラエルは、出エジプトと、シナイ契約、荒野の四十年を通じて、たんなる血族共同体ではなく、その上に「同じ主にある」兄弟として整えられていったのです。

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 都上りの歌

 さあ、主をほめたたえよ。
 主のすべてのしもべたち、
 夜ごとに主の家で仕える者たちよ。(詩篇134篇1節)
 聖所に向かってあなたがたの手を上げ、
 主をほめたたえよ。(2節)
 天地を造られた主が
 シオンからあなたを祝福されるように。(3節)

 教会でも、しばしば一致が求められます。もとより、教会に集う人たちは血族共同体ではありません。クリスチャンファミリーもいますが、家族単位でなければ教会に入れてもらえないのでもありません。
 神は、イエス・キリストを送って来られて「救い」を、イスラエル民族から、全世界の民のものとして下さったのです。ですから、今や、神の家族の中に、さまざまな国の人や肌の色が違う人がいても、それこそ神が望んでおられることでしょう。

 この詩編が歌われたころから二千五百年以上経過しています。
 しかし、天地をお造りになった主、かつてはイスラエル人たちの神であった方は、イエス・キリストにあって救いを完成させて下さったのです。
 私達が感謝して主をほめたたえる時、主が私たちを祝福して下さるのを、多くのキリスト者は、日々体験しているのではないでしょうか。








posted by さとうまさこ at 10:56| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする