2015年12月17日

Coffee Break詩篇・247 私の口が主の誉れを語り、すべて肉なる者が聖なる御名を世々限りなくほめたたえますように。(詩篇145篇8節〜21節)



 主は情け深く、あわれみ深く、
 怒るのにおそく、恵みに富んでおられます。(詩篇145篇8節)


 この言葉は、最初、出エジプト記34章6節に現れます。主ご自身が、ご自分について宣言された神のご性質です。
 ダビデは、この言葉を自身の詩篇で何度も反すうしています。つまり、神様への祈り中で、賛美されているのです。
 つぎの言葉も、神のご性質をほめたたえたものです。

 主はすべてのものにいつくしみ深く、
 そのあわれみは、
 造られたすべてのものの上にあります。(9節)

 このような神様に、私たちが感謝しほめたたえるのは、当然すぎるほど自然の成り行きです。

 主よ。あなたの造られたすべてのものは、
 あなたに感謝し、
 あなたの聖徒はあなたをほめたたえます。(10節)
 彼らはあなたの王国の栄光を告げ、
 あなたの大能のわざを、語るでしょう。(11節)

 この王国は、すでに知られているように、神の王国(Kingdom of God)、神が支配されるところという意味です。私たちキリスト者は、神の王国に入れられる約束を握りしめている者であり、今現在すでに、神の支配を受けるものです。また将来、永遠に神の王国に入ると証印をもらっている者です。ですから、それがどれほどすばらしいことか喜び、神の「大能のわざ」について、人びとに語らないではいられない者なのです。
 ほかでもない、クリスマスのイベントは、神の支配をあがめている者が、広くそれを褒めたたえ、語り継げるために行なわれるのです。

 こうして人の子らに、主の大能のわざと、
 主の王国の輝かしい栄光を、知らせましょう。(12節)
 あなたの王国は、永遠にわたる王国。
 あなたの統治は、代々限りなく続きます。(13節)

★★★★★ 

 さらにダビデは、あわれみ深く情け深い神の「大能のわざ」、その支配を受けるとき、人はどのように「救われるのか」を具体的に語ります。

 主は倒れる者をみなささえ、
 かがんでいる者をみな起こされます。(14節)
 すべての目は、あなたを待ち望んでいます。
 あなたは時にかなって、彼らに食物を与えられます。(15節)
 あなたは御手を開き、
 すべての生けるものの願いを満たされます。(16節)

 主が、生けるものの願いを満たして下さるのは、主が正しいお方であるからと繰り返します。

 主はご自分のすべての道において正しく、
 またすべてのみわざにおいて恵み深い。(17節)
 主を呼び求める者すべて、
 まことをもって主を呼び求める者すべてに
 主は近くあられる。(18節)

 神の王国に入るのは、難しい条件はありません。ただ、神に「呼び求める」だけでいいのです。自分の力のなさを悟り、主を恐れて(信じて)叫び求めるだけでいいと、ダビデは繰り返します。

 また主を恐れる者の願いをかなえ、
 彼らの叫びを聞いて、救われる。(19節)
 すべて主を愛する者は主が守られる。
 しかし、悪者はすべて滅ぼされる。(20節)

 大切なことは、主をほめたたえることです。
 この詩篇は、最初から最後まで主への賛美で、あふれています。

 私の口が主の誉れを語り、
 すべて肉なる者が聖なる御名を
 世々限りなくほめたたえますように。(21節)









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2015年12月18日

Coffee Break詩篇・248 ハレルヤ。私のたましいよ。主をほめたたえよ。(詩篇146篇1節〜10節)



 ハレルヤ。
 私のたましいよ。主をほめたたえよ。(詩篇146篇1節)
 私は生きているかぎり、主をほめたたえよう。
 いのちのあるかぎり、私の神に、ほめ歌を歌おう。(2節)

 聖書の神は、ほめたたえられるべきお方です。「神様。あなたはなんてすばらしいお方でしょう!」と申し上げながら近づくのです。
 聖書には、いろんな褒め言葉が記されています。聖書は、結局のところ、人間の側から見ると、神様をほめたたえる記録です。
 神様ご自身の御心では、「神の救いのご計画とその実現」を人間に知らしめておられる書物と言えるでしょう。
 存在もしなかった天地万物を創造され、完成された宇宙は、「ひじょうに良かった」のです。その美しい場所に、人を造って置いて下さった出来事を思うだけで、ただ事ではない感動に打たれないでしょうか。アダムのからだの材料は、地のちりでした。つかみどころのない「ちり」が、いのちある者となったのです。アダムが、「ひとりでいるのよくない」とエバを与えて下さいました。
 神さまが人をお造りになった目的は、「愛」でした。神様は人と親しく語り合うことを願っておられたのです。そのために、神の霊をアダムとエバにも分け与えて下さったのです。霊的存在である神が、霊を分け与えて下さっているので、私たちは神と交わることができます。人間が、どんな未開の地でも、また洗練された文明の中にあっても、宗教を持っているのは、私たちに埋め込まれた「霊」が、神との交流を求めるからです。(佐々木正明師・「神の国」参照)

★★★★★

 楽園から追放された時、人間に「死」が入りました。いのちの木から「その実を取って、いのちの補給をする」ことができなくなったからです。(創世記3章22節)
 いのちの実は、霊の補給を意味していたのでしょう。
 人間は霊が出て行くと、おのれの土に帰るだけになってしまったのです。

 君主たちにたよってはならない。
 救いのない人間の子に。(3節)
 霊が出て行くと、人はおのれの土に帰り、
 その日のうちに彼のもろもろの計画は滅びうせる。(4節)

 私たちは生きているかぎり、世の権勢を見ます。この世にあって、自分を支えてくれそうな多くの栄達や物質的保障を求めます。しかし、どれほどの君主であっても、歴史を変えた英雄であっても、はかなく滅び、計画はとん挫し、その王朝は決して続くことはなかったのです。

★★★★★

 幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、
 その神、主に望みを置く者は。(5節)

 主は、アブラハムの孫ヤコブを選んで、イスラエルという名を与え、イスラエル民族を造ることから、ご自身の「人類救済のご計画」を始められました。ヤコブの神とは、イスラエル民族を選んで育成された天地万物の創造主です。

 幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、
 その神、主に望みを置く者は。(5節)
 主は天と地と海とその中のいっさいを造った方。
 とこしえまでも真実を守り、(6節)
 しいたげられる者のためにさばきを行ない、
 飢えた者にパンを与える方。
 主は捕われ人を解放される。(7節)

 全能の神にとって、不可能はありません。

 主は盲人の目をあけ、
 主はかがんでいる者を起こされる。
 主は正しい者を愛し、(8節)
 主は在留異国人を守り、
 みなしごとやもめをささえられる。
 しかし主は悪者の道を曲げられる。(9節)

 主をほめたたえ、主の御力に従うことだけが求められています。
 細々とお願いをしなくても、主は弱い者や倒れた者を助け起こして下さいます。貧しいやもめも、みなしごも支えて下さるのです。
 捕囚から帰還したイスラエルの民は、長い「神の民」としての歴史を振り返り、そう断言できる多くの祝福を体験していたのです。

 主は、とこしえまでも統べ治められる。
 シオンよ。あなたの神は代々にいます。
 ハレルヤ。(10節)

 結局は、主が「統べ治められる」のです。
 私たち人間にできるのは、「ハレルヤ」と主をほめたたえることだけです。
 








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2015年12月19日

、Coffee Break詩篇・249 主を恐れる者と御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。(詩篇147篇1節〜11節)



 ハレルヤ。
 まことに、われらの神にほめ歌を歌うのは良い。
 まことに楽しく、賛美は麗しい。(詩篇147篇1節)
 主はエルサレムを建て
 イスラエルの追い散らされた者を集める。(2節)

 捕囚から帰還できた人々は、あらためて主の偉大さと力に思いを馳せています。主がエルサレムを荒れるに任せて、放置されておかれるはずはないのです。神の民を散らされたまま捨て置かれるはずもない、と思いを新たにしているのです。
 何と言っても、イスラエル民族は、神ご自身が選びだされて育成された苗であり、神はイスラエルがシオンを取って、エルサレムを立てる志をダビデに起こさせたのです。
 帰還してきた者は改めて主の御力を体験し、実感するのです。
 
 主は心の打ち砕かれた者をいやし
 彼らの傷を包む。(3節)
 主は星の数を数え、
 そのすべてに名をつける。(4節)
 われらの主は偉大であり、力に富み、
 その英知は測りがたい。(5節)
 主は心の貧しい者をささえ、
 悪者を地面に引き降ろす。(6節) 
 
 ★★★★★

 エルサレムの意味は平和の町(礎)です。(新聖書辞典・いのちのことば社)聖書の神は平和を実現して下さる方です。
 平和には多くの側面があると思います。体や心の傷が癒されること。貧しいものが生き、悪者が倒されること。これらは、究極的には人間にはなしえない平和ではないでしょうか。私たちの知恵はたいてい、「あちら立てれば、こちら立たず」「妥協点でのやむを得ない一致」。でなければ、武力の行使です。

 感謝をもって主に歌え。
 立琴でわれらの神にほめ歌を歌え。(7節) 

 世のあらゆる争いは、人の欲望のぶつかり合いに端を発しています。アブラハムも戦いを経験しました。(創世記14章)イサクも水争いに巻き込まれました。(創世記26章18節〜22節)ヤコブに至っては双子の兄から「長子の権利」(家督)を奪って、自ら苦境に陥りました。(創世記27章〜)ヤコブを受けいれてくれたヤコブの母リベカの兄ラバンは、抜け目のない冷酷な族長でした。この叔父に鍛えられて、ヤコブはさらに大きな労苦に投げこまれます。

 大切なことは、欲望を「消す」ことではなさそうです。そんなことは人間にはできないことです。なにしろ、楽園を追われた時から、人は「糧を得るために、顔に汗を流して自分が取られた土地を耕さなければいけなくなった」(創世記3章17節〜19節)のです。
 争いの中でも、「神に聞く」ことを、神は望んでおられたのです。
 それは、神が結局、私たちやすべての生き物に食物を与えて下さるからです。

 神は雲で天をおおい、
 地のために雨を備え、
 また、山々に草を生えさせ、(8節)
 獣に、また、鳴く烏の子に
 食物を与える方。(9節)
 神は馬の力を喜ばず、
 歩兵を好まない。(10節)

 馬の力と歩兵は、軍事力のことです。戦車が騎馬へと変わった時、それまでなかった広域にまたがる世界帝国アケネメス朝ペルシャが生まれました。
 軍事力はどんどん進化して行きます。「軍事力は。戦争の抑止力」などといわれて軍拡が正当化されます。しかし、じっさいは、争いの規模が大きくなるだけで平和は遠ざかっているのです。その結果、小さな地域紛争や民族問題、差別問題にまで、銃や火薬、兵器を使って解決しようとする時代になっています。 
 
 主を恐れる者と
 御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。(11節)

 本当の解決は、神を見あげ、感謝をし、神の御心を行なうことだと、捕囚から帰還したイスラエルの民は歌ったのです、









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2015年12月20日

Coffee Break詩篇・250 ハレルヤ! メリー・クリスマス!!(詩篇147篇12節〜20節)



 エルサレムよ。主をほめ歌え。
 シオンよ。あなたの神をほめたたえよ。(詩篇147篇12節)
 主は、あなたの門のかんぬきを強め、
 あなたの中にいる子らを祝福しておられるからだ。(13節)
 主は、あなたの地境に平和を置き、
 最良の小麦であなたを満たされる。(14節)
 主は地に命令を送られる。
 そのことばはすみやかに走る。(15節)

 今日は、教会でクリスマス礼拝が行われます。
 救い主が来られたことを記念するクリスマスを、全世界が喜ぶのです。キリスト教国では、12月25日は祝日になっていて、クリスマス礼拝も25日に行われるところが多いでしょう。でも、日付は問題ではありませんね。
 神さまは、二千四百年ほど昔に、イスラエルの民を捕囚から解かれてエルサレムに戻して下さいました。これはイスラエルの民にとっても待ち焦がれた解放だったことでしょうが、それは、神が約束を果たされたことでした。
 神は、喜ぶ民の姿を見て、ご自分を賛美する民の信仰の高まりを見て、「救いのご計画」さらに前進しているのを「ひじょうに良かった」と思われたのではないでしょうか。
 同時に、次なるご計画に微笑んでおられたことでしょう。救いは、救い主を送って来られることで、一応の完成をみるのですから。

★★★★★

 主は羊毛のように雪を降らせ、
 灰のように霜をまかれる。(16節)
 主は氷をパンくずのように投げつける。
 だれがその寒さに耐ええようか。(17節)

 苦しい出来事の後の解放は,神の民に、主の御力をあらためて認識させ、主の主権の下で、おきてとさばきを守り、主にすべてを「期待する」必要を思わせたことでしょう。

 主が、みことばを送って、これらを溶かし、
 ご自分の風を吹かせると、水は流れる。(18節)
 主はヤコブには、みことばを、
 イスラエルには、おきてとさばきを告げられる。(19節)

 たしかに、この詩篇が編まれた時、この解放はイスラエルにもたらされたのです。
 異邦人たちは、自分たちを造って下さった方のご計画について何も知らなかったのです。

 主は、どんな国々にも、
 このようには、なさらなかった。
 さばきについて彼らは知っていない。
 ハレルヤ。(20節)

 ところが、今、私たちは、もっと大きな歓びにみたされ、全世界を巻き込んで賛美をするのです。
 かつて、異邦人と言われた者の上にも、主が救いの恵みを下さったからです。

 ハレルヤ! メリー・クリスマス!!








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2015年12月21日

Coffee Break詩篇・251 ハレルヤ。天において主をほめたたえよ。(詩篇148篇1節〜14節)



 ハレルヤ。
 天において主をほめたたえよ。
 いと高き所で主をほめたたえよ。(詩篇148篇1節)
 主をほめたたえよ。すべての御使いよ。
 主をほめたたえよ。主の万軍よ。(2節)
 主をほめたたえよ。日よ。月よ。
 主をほめたたえよ。すべての輝く星よ。(3節)
 主をほめたたえよ。天の天よ。
 天の上にある水よ。(4節)
 彼らに主の名をほめたたえさせよ。
 主が命じて、彼らが造られた。(5節)

 ハレルヤ詩篇のボルテージは、いよいよ上がって行きます。
 それは、たんなるボリュームの増幅ではありません。カメラにたとえるのは、(カメラのことなどわからないので)恥ずかしいのですが、どんどんズームを引いて、視界を広く捉えているような感じです。「天」とは、神が支配される場所です。神は宇宙万物を支配されているのですから、この世界のすべては神の支配を受けているのです。ただ、人間は、ややもすれば天体や無生物的万物を、自存しているもののように見てしまいます。天(神の支配)が見えるのは、ズームを物理的な広さだけでなく、時間的な悠久にまで広げる時、天(神の支配)の世界が見えるのではないでしょうか。
 被造物は、今日知られているように、たとえ、月や星でも生きているのです。生きているものは神を賛美できるのです。

 主は彼らを、世々限りなく立てられた。
 主は過ぎ去ることのない定めを置かれた。(6節)

 じっさい、紀元前二五〇〇年を生きる人々が、今日の科学的事実――宇宙は生きていると知っていたとは驚きです。まさに、これは神が知らしめられたからでしょう。

★★★★★

 同じことは、私たちが直接目で見る地上においても言えます。

 地において主をほめたたえよ。
 海の巨獣よ。すべての淵よ。(7節)
 火よ。雹よ。雪よ。煙よ。
 みことばを行なうあらしよ。(8節)
 山々よ。すべての丘よ。
 実のなる木よ。すべての杉よ。(9節)

 私たちが見る光景のすべて、森羅万象のすべてが刻々と動いて生々流転し、生まれ死んでいきます。生きている証拠です。いえ、生かされている証拠です。

 獣よ。すべての家畜よ。はうものよ。
 翼のある鳥よ。(10節)
 地の王たちよ。すべての国民よ。
 君主たちよ。地のすべてのさばきづかさよ。(11節)
 若い男よ。若い女よ。年老いた者と幼い者よ。(12節)
 彼らに主の名をほめたたえさせよ。
 主の御名だけがあがめられ、
 その威光は地と天の上にあるからだ。(13節)

 これらのもので、神の支配を受けていない者はあるでしょうか。どんなに強い獣も、富貴の中にいる王も、元気盛りの若者も幼い者も年寄りも、誰ひとり、神の支配を受けない者はいないのです。
 神の威光と、その素晴らしい御名を否定できる人はいません。

 とりわけ、その御名を知らしめられるため、神の民として選ばれたイスラエルの子は、その恩寵を思うのは当然です。

 彼らは、聖徒と呼ばれ、「神の選びの民」として用いられていたのです。
 彼らが、讃美をし、ハレルヤと歌うのは自然なことです。
 特権は彼らだけのものではないのです。聖徒の近くにいれば、主のことを知る機会は多いのです。主のことを知った異邦人も賛美をするよう促されています。救いは、ゆくゆくは全世界に及ぶ者なのですから当然です。
 感謝なことです。

 主は、その民の角を上げられた。
 主の聖徒たち、主の近くにいる民、
 イスラエルの子らの賛美を。
 ハレルヤ。(14節)








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