2015年12月03日

Coffee Break詩篇・232 シオンを思い出して泣いた。(詩篇137篇1節〜9節)



 冒頭のバビロン川とは、バビロンからユーフラテス川までを繋ぐ運河だったと考えられています。(バイブルワールド・地図で巡る聖書P64・いのちのことば社) 捕囚でバビロンに引かれていった人たちが個々の定住したのか、土木工事に携わっていたのか、旅の途中なのかはわかりません。
 しかし、戻る希望もない捕囚生活で、民は泣き暮らしていた様子がうかがえます。

 バビロンの川のほとり、
 そこで、私たちはすわり、
 シオンを思い出して泣いた。(詩篇137篇1節)

 帰国が約束されている旅でさえ、ホームシックに泣く人がいます。通信手段が発達したのは、軍事的政治的支配の結果であったでしょうが、個人個人の望郷の思い、親しい人を恋い慕う気持も大きかったでしょう。

 エルサレムから引きはがされた人たちは、故郷の情報から切り離されてしまいました。当時であっても、天地を創造され太全知全能の神はどこにでもおられたはずです。しかし、まだ仲保者イエス様は、世に来ておられなかったのです。神の選びの民であっても、祭司を仲立ちにして神殿で神とお会いするしかありませんでした。
 神殿のあるエルサレムから切り離されることは、民族や肉親の父である神からはなされてしまうのです。民が泣いたのは当然でした。
 
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 その柳の木々に
 私たちは立琴を掛けた。(2節)
 それは、私たちを捕え移した者たちが、
 そこで、私たちに歌を求め、
 私たちを苦しめる者たちが、
 興を求めて、
 「シオンの歌を一つ歌え。」と言ったからだ。(3節)
 私たちがどうして、
 異国の地にあって主の歌を歌えようか。(4節)
 エルサレムよ。
 もしも、私がおまえを忘れたら、
 私の右手がその巧みさを忘れるように。(5節)

 バビロンの人々が、捕囚の民に「歌を歌え」と言ったのでしょう。慰み者にされているのか、もう少し好意的にイスラエル人の歌を聞きたかっただけなのかわかりませんが、イスラエル人たちにとって、歌は神殿でささげる「神聖な」賛美でした。バビロンで歌うのは、かえって、望郷の念をかきたて、苦しく悲しい思いにさせられることだったでしょう。
 
 私の想像ですが、捕囚の民は、それでも結局、歌ったのではないでしょうか。権力のある者にさからえるはずもありません。
 しかし、それだからこそ、エルサレムを心に描き、エルサレムのために、神殿礼拝を思い浮かべながら歌っただろうと思います。

 もしも、私がおまえを思い出さず、
 私がエルサレムを
 最上の喜びにもまさってたたえないなら、
 私の舌が上あごについてしまうように。(6節)

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 主よ。エルサレムの日に、
 「破壊せよ、破壊せよ、その基までも。」と言った
 エドムの子らを思い出してください。(7節)
 バビロンの娘よ。荒れ果てた者よ。
 おまえの私たちへの仕打ちを、
 おまえに仕返しする人は、なんと幸いなことよ。(8節)
 おまえの子どもたちを捕え、
 岩に打ちつける人は、なんと幸いなことよ。(9節)

 ここでどうしてエドムが思い出されているのか、奇妙な気もします。エルサレムを破壊し民を捕囚にしたのは、バビロンでした。
 これは、エドムが、創世記にまで遡るイスラエルの兄弟国であるからでしょう。古代の人たちは、今とは比べ物にならないほど、血縁の来歴、いわゆるルーツを重く見たのでしょう。エドムを立てたエサウは、ヤコブと双子の兄でした。彼らの父イサクは、当然家督(長子の権利)をエサウにゆずるつもりでした。しかし、母リベカは弟のヤコブを跡継ぎにしたいと思っていました。そうして、まるで騙しのような手口で、ヤコブが父から祝福されるようにしたのです。(創世記27章)
 月日が経って、再会したとき、エサウはヤコブを許していました。しかし、ヤコブは兄の申し出を受けず、和解のないままエサウの子孫はエドムに住みつき、ヤコブの子孫はカナンに入ったのです。その後両国は、平和な交流もありましたが、戦いも重ねました。

 エルサレムが陥落しそうなときも、エドムはユダを助けたのではなく、火事場泥棒のように、痛みを与えたのです。(オバデヤ書)
 イスラエルの人々は、バビロンで歌を歌う屈辱に、エドムへの恨みを重ねたようです。







posted by さとうまさこ at 10:47| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする