2015年12月12日

Coffee Break詩篇・243 あなたのみこころを行なうことを教えてください。(詩篇143篇1節〜12節)



 ダビデの賛歌 

 主よ。私の祈りを聞き、
 私の願いに耳を傾けてください。
 あなたの真実と義によって、私に答えてください。(詩篇143篇1節)

 この詩篇は、とても心を揺さぶられる祈りの言葉で始まっています。
 
 あなたのしもべをさばきにかけないでください。
 生ける者はだれひとり、
 あなたの前に義と認められないからです。(2節)
 敵は私のたましいを追いつめ、
 私のいのちを地に打ち砕き、
 長く死んでいる者のように、
 私を暗い所に住まわせたからです。(3節)
 それゆえ、私の霊は私のうちで衰え果て、
 私の心は私のうちでこわばりました。(4節)

 この祈りに際して、どのような苦しみがダビデを突き動かしていたにせよ、ダビデの神の御前での態度は、模範的信仰者のそれだと思わされるのです。
 神の前に出る時、私たちはだれでも、すがる気持ちと同時に、「恐れ」を感じているのではないでしょうか。訴えごとを持ちだすだけのが自分にあるだろうか、と。逆に、神から裁かれるような身ではないのか。
 なにしろ、「義人はいない。ひとりもいない」と、神ご自身が仰せなのです。
 でも、「敵」が自分を砕き、追いつめるまでは、なかなかこのような祈りには至りません。少なくとも、私などは、調子のよい時は、自分の霊が「衰え果てている」事実を見ることができないのです。

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 私は昔の日々を思い出し、
 あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、
 あなたの御手のわざを静かに考えています。(5節)
 あなたに向かって、私は手を差し伸べ、
 私のたましいは、かわききった地のように、
 あなたを慕います。セラ(6節)

 かつて、「救われた」体験は、大切ですね。正しくない自分、暗いところで死んでいるような自分を、救って下さった神さまですから、私は、神に祈り、神をお慕いすることができるのだと思います。
 いま再び、死にそうな自分、穴に落ちそうなときに、詩人がつぎのように訴えるのは当然です。

 主よ。早く私に答えてください。
 私の霊は滅びてしまいます。
 どうか、御顔を私に隠さないでください。
 私が穴に下る者と等しくならないため。(7節)
 朝にあなたの恵みを聞かせてください。
 私はあなたに信頼していますから。
 私に行くべき道を知らせてください。
 私のたましいはあなたを仰いでいますから。(8節)
 主よ。私を敵から救い出してください。
 私はあなたの中に、身を隠します。(9節)

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 昨夜、とつぜん、自分が、大きな誤りを犯しているのに気が付きました!
 それは、公然と白日の下にあったのに、しかも、かなり長い期間であったのに、私は、それに気づかなかったのです。
 それは、このエッセイ・詩篇の誤植でした。
 あろうことに、私は詩篇という字をほとんど全部、「詩編」と書いていたのです。昨夜、友人にクリスマスカードを書いていて、ふと、ご降誕の場面ではなく、詩篇23篇を書く気になって手書きで書きはじめたのです。そうして、卒然、自分がタイプでは「詩編」と打って来たのに気が付いたのです。

 Coffee Break・詩篇の連載は、もう241回を数えます。毎日、「詩編」と打っていたのは変換に狎れてしまって、ほとんど誤植に注意を払っていなかったのでしょう。それにしても、調べると、連載の最初の日から間違っていたのです。赤面するといった言葉ではとうてい足りません。恥ずかしくて、打ちひしがれました。文章中のタイプミスはしょっちゅうしています。ことばや文章表現は、それこそいつも何十例も頭を駆け回っているので、ミスをしやすいのです。
 しかし、詩篇という表題は、聖書に由来するもので、絶対に他の字はあり得なかったのです。創世記を、「創生期」などと書いてはいけないのと同じです。
 しかも、ご丁寧に、このミスは、私のほかのブログやフェイスブックで詩篇を紹介する時にも、犯していることでしょう。

 もちろん、読者にお詫びをするのですが、なにより、神様の前にうなだれてしまいました。もう、このような連載をやめようかとも思いました。

 今日の詩篇は、そのような私に、いくらかでもお答えをいただけたと思いました。

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 あなたのみこころを行なうことを教えてください。
 あなたこそ私の神であられますから。
 あなたのいつくしみ深い霊が、
 平らな地に私を導いてくださるように。(10節)
 主よ。あなたの御名のゆえに、私を生かし、
 あなたの義によって、
 私のたましいを苦しみから連れ出してください。(11節)
 あなたの恵みによって、私の敵を滅ぼし、
 私のたましいに敵対するすべての者を
 消し去ってください。
 私はあなたのしもべですから。(12節)



 神様は、答えて下さったと思います。神さまのみこころは、私が連載を止めることではなく、「間違いを認めて」「自分の『義のなさ』を知って」書きつづけることだ、と。
 神さまの慈しみは、今回初めて願うことではなく、私はそれゆえ、生かされてきたと、改めて思うのです。

 誤植を我慢して、忍耐して、読み続けて下さっている訪問者の方々にも、深くお詫び申し上げます。
 さっそく訂正を始めています。
 今後ともよろしくお願い申し上げます。
                                     さとうまさこ









posted by さとうまさこ at 10:56| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする