2015年12月15日

Coffee Break詩篇・245 幸いなことよ。主をおのれの神とするその民は。(詩篇144篇5節〜15節)



 ダビデはイスラエル王国の実質的な創始者でした。イスラエル王国が分裂して後、南王国(ユダ王国)が正当なイスラエルの神殿礼拝を引き継いだのは、エルサレムを抱え込むという地理的な有利さだけではなかったでしょう。ダビデの家こそイスラエルの王家であるというのは、いわば、「神のお墨付き」でした。じっさい、ダビデは40年の王位の間に、王国を盤石なものにしたのです。ダビデに、国家を成立させ治めさせる力をお与えになったのは、もとより、神・主です。

 捕囚から帰還した民が、詩編を編むとき、ダビデの歌が数多く再録編纂されました。それは、彼の歌がたんなるほめ歌ではなく、苦しみの中での神体験から生まれた血のにじむような賛美だったからでしょう。

★★★★★

 主よ。あなたの天を押し曲げて降りて来てください。
 山々に触れて、煙を出させてください。(詩篇144篇5節)
 いなずまを放って、彼らを散らし、
 あなたの矢を放って、
 彼らをかき乱してください。(6節)
 いと高き所からあなたの御手を伸べ、
 大水から、また外国人の手から、
 私を解き放し、救い出してください。(7節)

 神が天から降りてくるこのイメージは、シナイ山で神が顕現される情景に似ています。(出エジプト記19章18節) この時、神は警告しておられます。

 主はモーセに仰せられた。「下って行って、民を戒めよ。主を見ようと、彼らが押し破って来て、多くの者が滅びるといけない。」(同21章)

 を慕うイスラエルの民でさえ、の顕現を見ることは危険をともなったのです。ここは、たんに民が押し合いへし合いして、事故を起こし、死ぬといった警告ではないと思います。民が主を見ようとして、前もってもうけられた境を押し破ったり、触れたりすることへの警告なのです。(同12節)
神はとても聖い方ですから、罪のある体で不用意に近づくと、人は「死んでしまう」のです。

 まして、外国人(異教の神を信じる者)など、神の前に生きていることなどできません。ダビデは、たくさんの連戦連勝を経験した人でしたから、実際に勝ちいくさを戦って下さるのは神であることを、よく知っていたのでしょう。

 彼らの口はうそを言い、
 その右の手は偽りの右の手です。(8節)
 神よ。あなたに、私は新しい歌を歌い、
 十弦の琴をもってあなたに、ほめ歌を歌います。(9節)
 神は王たちに救いを与え、
 神のしもべダビデを、悪の剣から解き放されます。(10節)
 私を、外国人の手から解き放し、
 救い出してください。
 彼らの口はうそを言い、
 その右の手は偽りの右の手です。(11節)

 ダビデが二度も、「彼らの口はうそを言い」を繰り返しているのは、祈りの必死さを表しているのだと思います。神は、私たちが訴える前から、異教徒かどうか、嘘つきかどうかなど見通しておられる方なのです。それでも、しつこくそれを訴えているダビデに、神様は微笑を返されたかもしれません。「よし。よし。大丈夫だよ。わたしは、それをするのだから」。

★★★★★

 戦に勝ったら、いのちが尽きたというのでは何にもなりませんね。平和になったら、産物が豊かに取れ、子孫が繁栄し、豊かで望みのある生活を願うのは当然です。

 私たちの息子らが、若いときに、
 よく育った若木のようになりますように。
 私たちの娘らが、宮殿の建物にふさわしく刻まれた
 隅の柱のようになりますように。(12節)
 私たちの倉は満ち、あらゆる産物を備えますように。
 私たちの羊の群れは、私たちの野原で、
 幾千幾万となりますように。(13節)
 私たちの牛が子牛を産み、
 死ぬこともなく、出て行くこともなく、
 また、哀れな叫び声が
 私たちの町にありませんように。(14節)

 幸いなことよ。このようになる民は。
 幸いなことよ。主をおのれの神とするその民は。(15節)

 最後に、この賛美は、神(ヤーウエ)を信じ、神にゆだね、主をおのれの神とする人は、平和と繁栄も期待できると断言しています。






posted by さとうまさこ at 10:10| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする