2015年12月16日

Coffee Break詩篇・246 代は代へと、あなたのみわざをほめ歌い、あなたの大能のわざを告げ知らせるでしょう。(詩篇145篇1節〜7節)



 ダビデの賛美

 私の神、王よ。私はあなたをあがめます。
 あなたの御名を世々限りなく、ほめたたえます。(詩篇145篇1節)


 私たちクリスチャンはいま、待降節の中にいます。神が人となって来られたという降誕の日、それを記念するお祝いを待ちのぞんでいるのです。
 教会では、この行事のために何カ月も前から計画を立て、準備をしています。人間のわざとしてできるのは、クリスマスという名のイベントです。聖歌隊や聖書劇は「その夜」の熱い喜びの声をもり上げます。キャンドルサービスやクリスマスカフェで、参会者が共に楽しむ準備もします。
 もちろん、アドベント(待降節)に入る前に、教会はクリスマスの飾りつけをし、ツリーやリースで装われます。

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 キリストは弱弱しい赤ちゃんの姿で、人間の世にお出でになりました。人間マリヤのからだを経て、あたかも、人間であるかのようにお出でになったのです。
 それは、全イスラエル人に待たれていた出来事なのに、それを知っていた人は「ひとにぎり」でした。天が賛美をし天使が告げても、それを見あげることができた人もわずかでした。星の運行にそれを見た人もわずかでした。

 神のわざを見た人は、わずかだったのです。
 けれども、今は、全世界の人がそれを「知って」います。聖書が記した出来事の意味、神が私たちに救い主を下さった事実に、あらためて思いを馳せます。

 日ごとにあなたをほめたたえ、
 あなたの御名を世々限りなく賛美します。(2節)
 主は大いなる方。大いに賛美されるべき方。
 その偉大さを測り知ることができません。(3節)
 代は代へと、あなたのみわざをほめ歌い、
 あなたの大能のわざを告げ知らせるでしょう。(4節)

 ダビデは、彼自身の体験において、神のふしぎな救いをたくさんいただき、讃美の気持ちは年を経て深くなっていったことでしょう。
 ゴリヤテに立ち向かった時の純真な信仰(Tサムエル記17章45節)に、神が報いて下さったことも、年を経るにしたがって、強く胸に迫って来たでしょう。
 それは、自分が死んだ後も、「代から代へ」と伝えられると確信できるようになっていたはずです。

 私は栄光輝くあなたの主権と、
 あなたの奇しいわざに思いを潜めます。(5節)
 人々はあなたの恐ろしいみわざの力を語り、
 私はあなたの偉大さを述べるでしょう。(6節)
 人々はあなたの豊かないつくしみの思い出を
 熱心に語り、
 あなたの義を高らかに歌うでしょう。(7節)

 ダビデの家にキリストが降誕される栄誉が与えられたのは、なるほど、当然と言えば当然だったと思うのです。
 






posted by さとうまさこ at 10:56| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする