2015年12月18日

Coffee Break詩篇・248 ハレルヤ。私のたましいよ。主をほめたたえよ。(詩篇146篇1節〜10節)



 ハレルヤ。
 私のたましいよ。主をほめたたえよ。(詩篇146篇1節)
 私は生きているかぎり、主をほめたたえよう。
 いのちのあるかぎり、私の神に、ほめ歌を歌おう。(2節)

 聖書の神は、ほめたたえられるべきお方です。「神様。あなたはなんてすばらしいお方でしょう!」と申し上げながら近づくのです。
 聖書には、いろんな褒め言葉が記されています。聖書は、結局のところ、人間の側から見ると、神様をほめたたえる記録です。
 神様ご自身の御心では、「神の救いのご計画とその実現」を人間に知らしめておられる書物と言えるでしょう。
 存在もしなかった天地万物を創造され、完成された宇宙は、「ひじょうに良かった」のです。その美しい場所に、人を造って置いて下さった出来事を思うだけで、ただ事ではない感動に打たれないでしょうか。アダムのからだの材料は、地のちりでした。つかみどころのない「ちり」が、いのちある者となったのです。アダムが、「ひとりでいるのよくない」とエバを与えて下さいました。
 神さまが人をお造りになった目的は、「愛」でした。神様は人と親しく語り合うことを願っておられたのです。そのために、神の霊をアダムとエバにも分け与えて下さったのです。霊的存在である神が、霊を分け与えて下さっているので、私たちは神と交わることができます。人間が、どんな未開の地でも、また洗練された文明の中にあっても、宗教を持っているのは、私たちに埋め込まれた「霊」が、神との交流を求めるからです。(佐々木正明師・「神の国」参照)

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 楽園から追放された時、人間に「死」が入りました。いのちの木から「その実を取って、いのちの補給をする」ことができなくなったからです。(創世記3章22節)
 いのちの実は、霊の補給を意味していたのでしょう。
 人間は霊が出て行くと、おのれの土に帰るだけになってしまったのです。

 君主たちにたよってはならない。
 救いのない人間の子に。(3節)
 霊が出て行くと、人はおのれの土に帰り、
 その日のうちに彼のもろもろの計画は滅びうせる。(4節)

 私たちは生きているかぎり、世の権勢を見ます。この世にあって、自分を支えてくれそうな多くの栄達や物質的保障を求めます。しかし、どれほどの君主であっても、歴史を変えた英雄であっても、はかなく滅び、計画はとん挫し、その王朝は決して続くことはなかったのです。

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 幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、
 その神、主に望みを置く者は。(5節)

 主は、アブラハムの孫ヤコブを選んで、イスラエルという名を与え、イスラエル民族を造ることから、ご自身の「人類救済のご計画」を始められました。ヤコブの神とは、イスラエル民族を選んで育成された天地万物の創造主です。

 幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、
 その神、主に望みを置く者は。(5節)
 主は天と地と海とその中のいっさいを造った方。
 とこしえまでも真実を守り、(6節)
 しいたげられる者のためにさばきを行ない、
 飢えた者にパンを与える方。
 主は捕われ人を解放される。(7節)

 全能の神にとって、不可能はありません。

 主は盲人の目をあけ、
 主はかがんでいる者を起こされる。
 主は正しい者を愛し、(8節)
 主は在留異国人を守り、
 みなしごとやもめをささえられる。
 しかし主は悪者の道を曲げられる。(9節)

 主をほめたたえ、主の御力に従うことだけが求められています。
 細々とお願いをしなくても、主は弱い者や倒れた者を助け起こして下さいます。貧しいやもめも、みなしごも支えて下さるのです。
 捕囚から帰還したイスラエルの民は、長い「神の民」としての歴史を振り返り、そう断言できる多くの祝福を体験していたのです。

 主は、とこしえまでも統べ治められる。
 シオンよ。あなたの神は代々にいます。
 ハレルヤ。(10節)

 結局は、主が「統べ治められる」のです。
 私たち人間にできるのは、「ハレルヤ」と主をほめたたえることだけです。
 








posted by さとうまさこ at 11:09| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする