2015年12月19日

、Coffee Break詩篇・249 主を恐れる者と御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。(詩篇147篇1節〜11節)



 ハレルヤ。
 まことに、われらの神にほめ歌を歌うのは良い。
 まことに楽しく、賛美は麗しい。(詩篇147篇1節)
 主はエルサレムを建て
 イスラエルの追い散らされた者を集める。(2節)

 捕囚から帰還できた人々は、あらためて主の偉大さと力に思いを馳せています。主がエルサレムを荒れるに任せて、放置されておかれるはずはないのです。神の民を散らされたまま捨て置かれるはずもない、と思いを新たにしているのです。
 何と言っても、イスラエル民族は、神ご自身が選びだされて育成された苗であり、神はイスラエルがシオンを取って、エルサレムを立てる志をダビデに起こさせたのです。
 帰還してきた者は改めて主の御力を体験し、実感するのです。
 
 主は心の打ち砕かれた者をいやし
 彼らの傷を包む。(3節)
 主は星の数を数え、
 そのすべてに名をつける。(4節)
 われらの主は偉大であり、力に富み、
 その英知は測りがたい。(5節)
 主は心の貧しい者をささえ、
 悪者を地面に引き降ろす。(6節) 
 
 ★★★★★

 エルサレムの意味は平和の町(礎)です。(新聖書辞典・いのちのことば社)聖書の神は平和を実現して下さる方です。
 平和には多くの側面があると思います。体や心の傷が癒されること。貧しいものが生き、悪者が倒されること。これらは、究極的には人間にはなしえない平和ではないでしょうか。私たちの知恵はたいてい、「あちら立てれば、こちら立たず」「妥協点でのやむを得ない一致」。でなければ、武力の行使です。

 感謝をもって主に歌え。
 立琴でわれらの神にほめ歌を歌え。(7節) 

 世のあらゆる争いは、人の欲望のぶつかり合いに端を発しています。アブラハムも戦いを経験しました。(創世記14章)イサクも水争いに巻き込まれました。(創世記26章18節〜22節)ヤコブに至っては双子の兄から「長子の権利」(家督)を奪って、自ら苦境に陥りました。(創世記27章〜)ヤコブを受けいれてくれたヤコブの母リベカの兄ラバンは、抜け目のない冷酷な族長でした。この叔父に鍛えられて、ヤコブはさらに大きな労苦に投げこまれます。

 大切なことは、欲望を「消す」ことではなさそうです。そんなことは人間にはできないことです。なにしろ、楽園を追われた時から、人は「糧を得るために、顔に汗を流して自分が取られた土地を耕さなければいけなくなった」(創世記3章17節〜19節)のです。
 争いの中でも、「神に聞く」ことを、神は望んでおられたのです。
 それは、神が結局、私たちやすべての生き物に食物を与えて下さるからです。

 神は雲で天をおおい、
 地のために雨を備え、
 また、山々に草を生えさせ、(8節)
 獣に、また、鳴く烏の子に
 食物を与える方。(9節)
 神は馬の力を喜ばず、
 歩兵を好まない。(10節)

 馬の力と歩兵は、軍事力のことです。戦車が騎馬へと変わった時、それまでなかった広域にまたがる世界帝国アケネメス朝ペルシャが生まれました。
 軍事力はどんどん進化して行きます。「軍事力は。戦争の抑止力」などといわれて軍拡が正当化されます。しかし、じっさいは、争いの規模が大きくなるだけで平和は遠ざかっているのです。その結果、小さな地域紛争や民族問題、差別問題にまで、銃や火薬、兵器を使って解決しようとする時代になっています。 
 
 主を恐れる者と
 御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。(11節)

 本当の解決は、神を見あげ、感謝をし、神の御心を行なうことだと、捕囚から帰還したイスラエルの民は歌ったのです、









posted by さとうまさこ at 11:07| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする