2015年12月21日

Coffee Break詩篇・251 ハレルヤ。天において主をほめたたえよ。(詩篇148篇1節〜14節)



 ハレルヤ。
 天において主をほめたたえよ。
 いと高き所で主をほめたたえよ。(詩篇148篇1節)
 主をほめたたえよ。すべての御使いよ。
 主をほめたたえよ。主の万軍よ。(2節)
 主をほめたたえよ。日よ。月よ。
 主をほめたたえよ。すべての輝く星よ。(3節)
 主をほめたたえよ。天の天よ。
 天の上にある水よ。(4節)
 彼らに主の名をほめたたえさせよ。
 主が命じて、彼らが造られた。(5節)

 ハレルヤ詩篇のボルテージは、いよいよ上がって行きます。
 それは、たんなるボリュームの増幅ではありません。カメラにたとえるのは、(カメラのことなどわからないので)恥ずかしいのですが、どんどんズームを引いて、視界を広く捉えているような感じです。「天」とは、神が支配される場所です。神は宇宙万物を支配されているのですから、この世界のすべては神の支配を受けているのです。ただ、人間は、ややもすれば天体や無生物的万物を、自存しているもののように見てしまいます。天(神の支配)が見えるのは、ズームを物理的な広さだけでなく、時間的な悠久にまで広げる時、天(神の支配)の世界が見えるのではないでしょうか。
 被造物は、今日知られているように、たとえ、月や星でも生きているのです。生きているものは神を賛美できるのです。

 主は彼らを、世々限りなく立てられた。
 主は過ぎ去ることのない定めを置かれた。(6節)

 じっさい、紀元前二五〇〇年を生きる人々が、今日の科学的事実――宇宙は生きていると知っていたとは驚きです。まさに、これは神が知らしめられたからでしょう。

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 同じことは、私たちが直接目で見る地上においても言えます。

 地において主をほめたたえよ。
 海の巨獣よ。すべての淵よ。(7節)
 火よ。雹よ。雪よ。煙よ。
 みことばを行なうあらしよ。(8節)
 山々よ。すべての丘よ。
 実のなる木よ。すべての杉よ。(9節)

 私たちが見る光景のすべて、森羅万象のすべてが刻々と動いて生々流転し、生まれ死んでいきます。生きている証拠です。いえ、生かされている証拠です。

 獣よ。すべての家畜よ。はうものよ。
 翼のある鳥よ。(10節)
 地の王たちよ。すべての国民よ。
 君主たちよ。地のすべてのさばきづかさよ。(11節)
 若い男よ。若い女よ。年老いた者と幼い者よ。(12節)
 彼らに主の名をほめたたえさせよ。
 主の御名だけがあがめられ、
 その威光は地と天の上にあるからだ。(13節)

 これらのもので、神の支配を受けていない者はあるでしょうか。どんなに強い獣も、富貴の中にいる王も、元気盛りの若者も幼い者も年寄りも、誰ひとり、神の支配を受けない者はいないのです。
 神の威光と、その素晴らしい御名を否定できる人はいません。

 とりわけ、その御名を知らしめられるため、神の民として選ばれたイスラエルの子は、その恩寵を思うのは当然です。

 彼らは、聖徒と呼ばれ、「神の選びの民」として用いられていたのです。
 彼らが、讃美をし、ハレルヤと歌うのは自然なことです。
 特権は彼らだけのものではないのです。聖徒の近くにいれば、主のことを知る機会は多いのです。主のことを知った異邦人も賛美をするよう促されています。救いは、ゆくゆくは全世界に及ぶ者なのですから当然です。
 感謝なことです。

 主は、その民の角を上げられた。
 主の聖徒たち、主の近くにいる民、
 イスラエルの子らの賛美を。
 ハレルヤ。(14節)








posted by さとうまさこ at 09:18| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする