2015年12月23日

Coffee Break詩篇・253 息のあるものはみな、主をほめたたえよ。(詩篇150篇1節〜6節)



 いよいよ詩篇も最後になりました。八か月以上もの間、毎朝詩編を開いていたのだと思うと、感慨があります。
 ほかの聖書の言葉を読むときも、いつも「足がすくむような」恐れがありました。何か「開かずの間」の扉を開けるようなときめきと気の重さ。でも、それゆえに、引き込まれる強い磁場と言えば、聖書に失礼でしょうか。

 詩編は、特に日本人に人気があるそうです。人から神に向かう時の祈り、そのすべてがここに表出されているからでしょう。賛美歌ですが、今日私たちが教会で歌う賛美をはみ出していることばがたくさんあります。

 人生の辛酸を生きたダビデ、またしばしば信仰につまづいたイスラエルの民の捕囚経験後の感慨は、今日の私たちの「人生の味」とはまるで異なっているのかもしれません。
 読む前から、「詩編の世界に」届かないに違いないという恐れがありました。

 でも、今、「そんなに怖がらなくてもよかったでしょう」とささやく声が聞こえます。

★★★★★ 

 ハレルヤ。
 神の聖所で、
 神をほめたたえよ。
 御力の大空で、
 神をほめたたえよ。(詩篇150篇1節)
 その大能のみわざのゆえに、
 神をほめたたえよ。
 そのすぐれた偉大さのゆえに、
 神をほめたたえよ。(2節)

 シミだらけの布を染料の液に浸して引き揚げたように、たしかに、自分の心がこれまでと違う色で染め上げられているのです。
 「ハレルヤ」です。心の底から気おくれなく、精一杯の大声で、大空に向かって「ハレルヤ!!」と叫んでいます。

★★★★★

 角笛を吹き鳴らして、
 神をほめたたえよ。
 十弦の琴と立琴をかなでて、
 神をほめたたえよ。(3節)
 タンバリンと踊りをもって、
 神をほめたたえよ。
 緒琴と笛とで、
 神をほめたたえよ。(4節)
 音の高いシンバルで、
 神をほめたたえよ。
 鳴り響くシンバルで、
 神をほめたたえよ。(5節)

 不思議ですね。今日ある楽器のほとんどが、聖書時代に(あるいは太古から)既に存在していたのです。吹奏楽器、弦楽器、打楽器という楽器の原型は、そのまま今日の多様な楽器となって美しい音楽を奏でています。ピアノやオルガンでさえ、これらの発展形です。シンセなども、これらの音色を電気とコンピュータ技術を使って再現しているわけです。

 音の基本は、空気の振動だと習った時の感動は忘れることができません。どんなに素晴らしい竪琴の音も、心を奮い立たせるシンバルの響きも、空気を伝わって耳に届くのです。
 空気を震わせるものなら、たとえ、コップや鍋でも楽器になるでしょう。

 私たちもまた、生まれながらにして体に楽器を装備しています。喉を通る空気が声帯を振動させ、声を出します。声は、ふつうは人間同士のコミュニケーションに使われと思っているのですが、同時にすばらしい楽器ですね。
 ですから、詩編の最後の最後はつぎの言葉で、締めくくられているのでしょう。

 息のあるものはみな、
 主をほめたたえよ。
 ハレルヤ。(6節)

 感謝!!










posted by さとうまさこ at 09:14| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする