2016年01月07日

Coffee Break箴言15 彼はほふり場に引かれる牛のように、愚か者を懲らしめるための足かせのように、ただちに女につき従い、(箴言7章1節〜27節)



 わが子よ。私のことばを守り、
 私の命令をあなたのうちにたくわえよ。(箴言7章1節)
 私の命令を守って、生きよ。
 私のおしえを、あなたのひとみのように守れ。(2節)
 それをあなたの指に結び、
 あなたの心の板に書きしるせ。(3節)
 知恵に向かって、「あなたは私の姉妹だ。」と言い、
 悟りを「身内の者。」と呼べ。(4節)
 それは、あなたを他人の妻から守り、
 ことばのなめらかな見知らぬ女から守るためだ。(5節)

 箴言7章は、全部女性問題への警告です。5章6章にも女性の危険についての警告がありましたが、ここは、人妻との関係を焦点にしています。
 前にも書いたように、不倫、姦淫は律法で禁じられているのです。旧約聖書の中では、相手が独身の女性なら「石打ち」とまではいきません。父親に花嫁料を払って結婚してしまうとか、慰謝料を払って済ませることもできました。(出エジプト記22章16節17節)
 男が不倫を咎められるのは、相手が「人妻」の場合でした。人妻との関係はただ一度であっても「火遊び」だったのです。

 性のタブーがないかのように見える今の時代でも、親は子供の性体験を気にしていないとは言えないでしょう。とくに真面目で純情な男の子の場合、性的関係はその子の理性を狂わせることもありえます。親から見て反対したくなるような相手との結婚を望まれたり、子どもが生まれてしまったりと、「知的な予定」を狂わせるのも男女関係です。不倫は今でも「事件」をはらみます。

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 ここで、父親の視線は、うぶで女性経験の浅い息子に、性的に成熟し、男あしらいに慣れ、発情しているような人妻を対置させています。
 この女は、夫が留守である機会に、魅惑的に着飾り、通りに出て若い男に声をかけているのでしょう。

 私が私の家の窓の格子窓から見おろして、(6節)
 わきまえのない者たちを見ていると、
 若者のうちに、
 思慮に欠けたひとりの若い者のいるのを認めた。(7節)
 彼は女の家への曲がりかどに近い通りを過ぎ行き、
 女の家のほうに歩いて行った。(8節)
 それは、たそがれの、日の沈むころ、
 夜がふける、暗やみのころだった。(9節)
 すると、遊女の装いをした
 心にたくらみのある女が彼を迎えた。(10節)
 この女は騒がしくて、御しにくく、
 その足は自分の家にとどまらず、(11節)
 あるときは通りに、あるときは市場にあり、
 あるいは、あちこちの町かどに立って待ち伏せる。(12節)
 この女は彼をつかまえて口づけし、
 臆面もなく彼に言う。(13節)
 「和解のいけにえをささげて、
 きょう、私の誓願を果たしました。(14節)
 それで私はあなたに会いに出て来たのです。
 あなたを捜して、やっとあなたを見つけました。(15節)

 「和解のいけにえをささげてきた」という意味は、ごちそうが家にあるということなのです。全焼のいけにえはささげ物をすべて煙にしてしまいますが、和解のいけにえが、内臓と脂肪を主にささげた後の、肉は食物になります。ささげた人はそれを後で食べるのです。(レビ記3章16節) 女は、和解のいけにえの残り肉があると男を誘っているのです。

 続く誘いの言葉も、魅惑的です。家は情事のために整えられていて、夫がいないので時間はたっぷりあるというのです。

 私は長いすに敷き物を敷き、
 あや織りのエジプトの亜麻布を敷き、(16節)
 没薬、アロエ、肉桂で、
 私の床をにおわせました。(17節)
 さあ、私たちは朝になるまで、
 愛に酔いつぶれ、愛撫し合って楽しみましょう。(18節)
 夫は家にいません。
 遠くへ旅に出ていますから。(19節)
 金の袋を持って出ました。
 満月になるまでは帰って来ません。」と。(20節)
 女はくどき続けて彼を惑わし、
 へつらいのくちびるで彼をいざなう。(21節)

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 昔、同人誌仲間だった女性で、夫がいるのに浮気を重ねていた人がいました。確かにとても美しい人でしたが、それ以上に、舌を巻くような誘惑の手練手管を知っていました。彼女の流し目は、本当に目千両と言えるものでした。そこで、まじめで奥さんの支配下にあるような男性が、誘惑されていくのです。
 そのように、自分の立場も後に続く出来事も忘れて、誘惑に落ちる時、男は次のような状態なのではないでしょうか。
 しかし、その代償は大きかったのです。

 彼はほふり場に引かれる牛のように、
 愚か者を懲らしめるための足かせのように、
 ただちに女につき従い、(22節)
 ついには、矢が肝を射通し、
 鳥がわなに飛び込むように、
 自分のいのちがかかっているのを知らない。(23節)

 いわゆる初心(うぶ)な息子を持つ親の心配が、どれほどのものかは、つぎの言葉の激しさを読めばわかるというものです。

 子どもらよ。今、私に聞き従い、
 私の言うことに心を留めよ。(24節)
 あなたの心は、彼女の道に迷い込んではならない。
 その通り道に迷ってはならない。(25節)
 彼女は多くの者を切り倒した。
 彼女に殺された者は数えきれない。(26節)
 彼女の家はよみへの道、
 死の部屋に下って行く。(27節)







posted by さとうまさこ at 10:31| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする