2016年01月09日

Coffee Break箴言17 わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。(箴言8章1節〜11節、創世記4章12節〜17節、新約聖書ヨハネの福音書14章21節、同ヤコブの手紙1章5節)



 知恵であるわたしは分別を住みかとする。
 そこには知識と思慮とがある。(箴言8章12節)


 語り手がいつの間にか(箴言8章からですが)父(教師)ではなく、知恵そのものになっています。新改訳聖書では、「わたし」とひらがな表記されるときは、神の一人称であるとの約束ですから、知恵は神そのものだと読み取れます。
 神の知恵には、分別と知識と知恵があるのです。
 
 主を恐れることは悪を憎むことである。
 わたしは高ぶりと、おごりと、悪の道と、
 ねじれたことばを憎む。(13節)

 主を恐れる者は、知恵と分別と知恵があるのです。そのような者はとうぜん悪を憎みます。知恵である「わたし」は、悪についても定義しています。それは、高ぶりとおごり、悪の道と、ねじれたことば、です。

 摂理とすぐれた知性とはわたしのもの。
 わたしは分別であって、わたしには力がある。(14節)

 摂理とは神の助言という意味、〈力〉とは事を行なう能力を指している。知恵はメシヤとしても性格(イザヤ書9;6)と同じ性格〈助言者、力ある神〉を備えていた。(新実用聖書注解・いのちのことば社P858)

 注解書にある通り、箴言8章はキリストの存在を彷彿とさせるものです。
 事実、神ご自身を十字架に架けてささげ物とし、人が決して払いきれない負債をチャラにして下さるなど、神でなければ思いつかない知恵です。

★★★★★

 わたしによって、王たちは治め、
 君主たちは正義を制定する。(15節)
 わたしによって、支配者たちは支配する。
 高貴な人たちはすべて正義のさばきつかさ。
 (16節)
 わたしを愛する者を、わたしは愛する。
 わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。(17節) 

 新約聖書ヨハネは、イエス様の言葉を記録しています。
 
 「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。」(新約聖書ヨハネの福音書14章21節)

 また、ヤコブは書いています。

 あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。(新約聖書ヤコブの手紙1章5節)

 これらのことばが、箴言8章17節のことばと同じものであるのは、自明のことです。
 
 箴言8章を読んでいると、救い主があちこちに表現されていて、聖書がまさに精緻に織られた神のメッセージの世界だと思わせられるのです。







posted by さとうまさこ at 10:48| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする