2016年01月10日

Coffee Break箴言18 わたしは正義の道、公正の通り道の真中を歩み、(箴言8章18節〜23節、ヨハネの福音書1章1節〜3節)



 富と誉れとはわたしとともにあり、
 尊い宝物と義もわたしとともにある。(箴言8章18節)

 時代が移り、価値観が変わっても、人の求めるものはさほど変わらないのではないでしょうか。富、誉れ、宝物、義はだれにとっても価値があるのです。貧しさはしばしば人を損ないます。私たちが有限な物質で組み立てられた肉体を持っているからです。
 だれしも、食事を摂らないでは生きていけません。衣服も住居も不可欠です。たとえ、ホームレスになっても難民であっても、いいえ、ノラ犬やのノラ猫やカラスや鳩でも、食べ物と巣を必要としています。

 まして、私たちは人間です。ヨーロッパに押し寄せる大量の難民を、西欧先進国が多大の経費や犠牲を払っても受け入れるのは、どのような人にも衣食住が与えられなければならないと、私たちが諒解しているからでしょう。基本的人権とは、そのような思想から発したものです。
 もし、弱い人、困っている人を助けることができるなら、そこには、「義」があります。「義」のあるところ、誉れがあり、それは宝物です。富とさえ言えるでしょう。そのためにお金を使うかもしれませんが、お金では買うことができない富だとも言えます。

 わたしの実は黄金よりも、純金よりも良く、
 わたしの生み出すものはえり抜きの銀にまさる。(19節)

 「義」は神の御前の正しいことです。神の御前に正しくあることは、黄金よりも純金よりも良い。銀に勝ると、神ご自身が仰せなのです。

 わたしは正義の道、公正の通り道の真中を歩み、(20節)
 わたしを愛する者には財産を受け継がせ、
 彼らの財宝を満たす。(21節)

 もし、神様からの財産を受け継ぐことができるなら、どんなに素晴らしいことでしょう。
 人が自分の才覚で積み上げる財宝は、かならず無くなる時があるのは、古代遺跡の廃墟をみればわかります。どんなに権勢や富を誇った王国や王も滅びます。今では、「カイザルに税金を納めるのは正しいか」と、大真面目に問う人はいないでしょう。ローマ帝国の銀貨に今、価値があるとしたら、聖書にそのたとえが載せられていること、アンティークとして貴重であるためでしょう。カイザルもローマ帝国も滅びて存在しないのです。
 
★★★★★

 しかし、変わらず存在している方がいるのです。「正義の道、公正の通り道の真中を歩んでおられる方」「わたし」と、ここで語っておられる神です。

 主は、その働きを始める前から、
 そのみわざの初めから、わたしを得ておられた。(22節)

 すごい言葉が出て来ました。イエスさまを知る私たちは、思わず姿勢を正したくなる箇所です。私たちキリスト者は、イエス・キリストが2千年前においでになったのではなく、はじめから父なる神とともに、宇宙に存在されたと知っています。

 大昔から、初めから、大地の始まりから、
 わたしは立てられた。(23節)

 ヨハネは、この厳粛な事実を、彼の福音書の冒頭に記しています。

 初めに、言葉があった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
 この方は、初めに神とともにおられた。
 すべてのものは、この方によって造られた。造られたものでこの方によらずにできたものは一つもない。(ヨハネの福音書1章1節〜3節)









posted by さとうまさこ at 10:12| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする