2016年01月13日

Coffee Break箴言21 もし、あなたが知恵を得れば、その知恵はあなたのものだ。(箴言9章10節〜18節)



主を恐れることは知恵の初め、
聖なる方を知ることは悟りである。(箴言9章10節)


 箴言の数多くの言葉は、ここに要約されています。箴言1章7節で、訓戒の書き出しとなっていた「主を恐れることは知恵の初め」が、ここで繰り返されているのです。

わたしによって、あなたの日は多くなり、
あなたのいのちの年は増すからだ。(11節)

 主を知ることで、いのちを見出すと8章35節にある言葉も、繰り返されているのです。
 神様の御前に出て、神様から答えをいただいた知恵は、「あなただけのものだ」と言うのです。このなにげない言葉も、味わうほどに、深くなるものです。

 私たちは、ほんの赤ん坊の時から、人間社会で教育を受け、無数の知恵を学ぶのです。まもなく学校へ行き、ときに自分だけの「お稽古事」に通い、知識とスキルを身に付けていくのです。親をはじめ、たくさんの人生の先輩や教師、友人、通りすがりの人、それに、本やネットやテレビ、ラジオ、新聞などが、毎日私たちの知恵を豊かにしてくれるように見えるのです。

 問題は、「自分だけのもの」「一生の間、自分のもの」と言える知識や知恵に、巡りあえるかどうかでしょう。確かに大学へ行くことも、留学することも、技術や資格を身に付けることも、一生涯、役に立つはずです。それでも、人(世)から得たものは、つねに変わります。時代が日々移り、昨日有用だった知識が、翌日にはむしろ無駄なものになり、安全と思っていたポジションは幻想だったりします。

 自分自身でさえ、昨日までの自分とはまるで異なる人間に、日々変化して行くのです。若い時は、自分が持っている若さは、「当たり前」でした。健康な時は、健康も当たり前でした。老人は初めから老人で、病気の人は初めから病人で、美人はずっと美人であるかのような思い込みありました。

 あるとき、自分も自分をとりまく環境も、刻々と変化しているのに気が付きます。社会(世間)は「発展している!」と叫びますが、少なくとも、個人はやがて死ぬ運命にあります。そのからだは日々色褪せて、土の器にすぎないと思い知らせるかのように、からだのあちこちに「ほころび」が出てきます。

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 でも、「そんなことは、すべて、わかっていたでしょう」と、問いかけて下さる方がいます。
 神は語っておられ、聖書には、神のことばが繰り返し記されています。
 その言葉を、あざけってはならないと、知恵は、教え諭しています。

 もし、あなたが知恵を得れば、
 その知恵はあなたのものだ。
 もし、あなたがこれをあざけるなら、
 あなただけが、その責任を負うことになる。(12節)

 







posted by さとうまさこ at 11:25| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする