2016年01月14日

Coffee Break箴言22 「わきまえのない者はだれでもここに来なさい。」と(箴言9章13節〜18節)



 愚かな女は、騒がしく、
 わきまえがなく、何も知らない。(箴言9章13節)


 「愚かな女」は、文字通り「女」を指すとも解釈できますが、「愚かさ=誘惑する者」を示していると考えると、よりこの箇所の意味が明快です。この時代は男社会ですから、箴言自体も、(どうやら)男の子に向けた訓戒ですから、若い男の子にとって一番のワナになる「女」は、「誘惑する者」かもしれません。

 彼女は自分の家の戸口にすわり、
 町の高い所にある座にすわり、(14節)
 まっすぐに歩いて行く往来の人を招いて言う。(15節)  
 
 これは、遊女が門口で男を招いている図なのでしょうか。でも、今でも、歓楽街などでは、女や「女を紹介する」と言う男たちが立っていて呼びかけていますね。(もちろん、東京では、「客引き」行為は、法律で禁止されています。)

★★★★★

 「わきまえのない者はだれでも
 ここに来なさい。」と。

 これは、誘惑する者の本音ですね。
 じっさいには、「こんにちわ。素敵な方」と呼びかけて来るのでしょう。

 また思慮に欠けた者に向かって、彼女は言う。(16節)
 「盗んだ水は甘く、
 こっそり食べる食べ物はうまい。」と。(17節)

 これは、夫のある女が誘惑してくるときの、「ささやき」でしょうか。姦淫は盗みの罪とも重なります。 盗みの誘惑自体が、快感になる人もいるのでしょう。

 ときおり、テレビで万引き摘発番組を放映していますが、万引きは繰り返す人が多いようです。スーパーマーケットの食品売り場では、盗品で「荒稼ぎ」できるわけではありません。(盗まれる店側では死活問題ですが) チョコレートとかパック詰めの惣菜とか、佃煮の瓶詰とかは、その夜の食卓に上るようです。

 盗んだものを口に入れる時、舌が「痛み」を感じないのでしょうか。苦みが口に広がらないのでしょうか。胃が痛んで数日下痢が止まらないなんてことなら、盗む人はいなくなるでしょう。
 むしろ、盗む人は、盗んだ物を「おいしい」と感じるような回線が埋め込まれているのかもしれません。
 何百円か「得をした」「うまく盗めた」と、喜ぶような心の仕組みを直さない限り、このような人の悪癖は収まらないでしょうね。
 たまたま、保安要員につかまらなくても、盗みは知られている。保安係より、警察より、家族より、もっと大きな権限をお持ちの方が知っていて、盗みに憤っておられると知らしめることこそ、大切でしょう。

★★★★★

 しかしその人は、そこに死者の霊がいることを、
 彼女の客がよみの深みにいることを、知らない。(18節) 

 ここでの「死者の霊」は、盗みを行なった人間の「運命」のことです。私たちの肉体は必ず死にます。そして、いつか神の前に立ってさばきを受けなければなりません。神様の前で嘘は通用しません。私たちの行いはすべて、「神の書」に記録があるのです。

 盗みをして、懲りずに繰り返して、悔い改めるどころか「うまかった!」と舌鼓を打つような者は、永遠の滅びが待っています。つまり、死者になりますと、万引き癖の人たちを教育できたらと思います。
 
 まあ、当時でさえ、そんなことは不可能なのでせめて子供たちを教育しなさいと、箴言が託されているのでしょう。

 主を恐れることは知恵の初め、
 聖なる方を知ることは悟りである。(箴言9章10節)






posted by さとうまさこ at 10:15| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする