2016年01月15日

Coffee Break箴言23 正しい者の口はいのちの泉。悪者の口は暴虐を隠す。(箴言10章1節〜13節)



 箴言1章1節と同じ、「ソロモンの箴言」と銘打った書き出しです。箴言全体の著者がソロモンだとされています。それを、わざわざもう一度ここで、「ソロモンの箴言」と銘うっているのは、ここからが、本来の「箴言」で、9章までは、10章以降の言葉を受けいれる準備だったのです。(新実用聖書注解・いのちのことば社)
 
 ソロモンの箴言
 知恵のある子は父を喜ばせ、
 愚かな子は母の悲しみである。(箴言10章1節)
 不義によって得た財宝は役に立たない。
 しかし正義は人を死から救い出す。(2節)
 主は正しい者を飢えさせない。
 しかし悪者の願いを突き放す。(3節)

 ここまでの三節は、互いにつながった言葉でなく、独立した「ことわざ・警句」になっています。これからも、このように箴言が続いて行きます。

 とはいえ、音符が微妙につながりながらメロディを奏でるように、まるで、無関係なものがランダムに並べられているのでもなさそうです。
 つぎの二節は、怠慢と勤勉、富と窮乏を関連付けています。怠惰は箴言の戒めの大きな柱です。(箴言6章6節〜11節)

 無精者の手は人を貧乏にし、
 勤勉な者の手は人を富ます。(4節)
 夏のうちに集める者は思慮深い子であり、
 刈り入れ時に眠る者は恥知らずの子である。(5節)

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 つぎは、正しい者と悪者の対比です。

 正しい者の頭には祝福があり、
 悪者の口は暴虐を隠す。(6節)
 正しい者の呼び名はほめたたえられ、
 悪者の名は朽ち果てる。(7節)

 旧約聖書には、因果応報思想が垣間見られますが、これは、とくに訓戒を述べる箴言では、それが明確になるようです。子どもに言い聞かせるのに、「信賞必罰」を示すのは大切なことです。正しくてもほめたたえられず、悪者であっても上手く行くなどと言うのが、世渡りの方程式だと教えられたら正しい人が育つでしょうか。

 心に知恵のある者は命令を受け入れる。
 むだ口をたたく愚か者は踏みつけられる。(8節)
 まっすぐに歩む者の歩みは安全である。
 しかし自分の道を曲げる者は思い知らされる。(9節)

 ときには、すぐに報酬があるように見えなくても、正しいことを受けいれるのが「知恵ある者」だというのです。たしかに、なかなかできないことです。命令に対して、何か一言無駄口を叩きたいのが人間です。
「こんなことやってられるか」「自分ばかりが真面目にやっているじゃないか」と、一度も思わなかった人はいるでしょうか。思いはすぐに、具体的に現れます。彼が歩む道は曲がって行くからです。

 勉強中、教科書の内側にコミックを重ねていたり、パソコンの画面を見ているけれど個人的なメールを書いていたり、社用の帰りに映画館や喫茶店で時間をつぶしたり、化粧直しに立ったりしていると――自分にも身に覚えがあることですが――、それらを合理化するために、いろんな悪が入り込んできます。
 同僚と目配せしたり、お互いのサボりを励まし合うためにおしゃべりします。
 人は、弱い人間なので、どうしてもサタンを味方につけておきたいのです。

 目くばせする者は人を痛め、
 むだ口をたたく愚か者は踏みつけられる。(10節)
 正しい者の口はいのちの泉。
 悪者の口は暴虐を隠す。(11節)

 うまくやれば確かに、一時的には、暴虐も隠せるでしょう。しかし、せっかくの舌で自分の道を曲げる人は、自分を殺してしまうのです。その理由がつぎの言葉です。

 憎しみは争いをひき起こし、
 愛はすべてのそむきの罪をおおう。(12節)
 悟りのある者のくちびるには知恵があり、
 思慮に欠けた者の背には杖がある。(13節)

 この杖は、詩篇23篇にもありますね。「あなたの杖とあなたのむち」。 羊飼いはむちや杖をひつじを襲う猛獣に向けて振るったのです。
 神に叛く「思慮に欠けた者」は、御しがたい害獣と同じだと見なされて、杖で背中を叩かれ追い払われるのです。








posted by さとうまさこ at 10:43| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする