2016年01月22日

Coffee Break箴言30 人はその思慮深さによってほめられ、心のねじけた者はさげすまれる。(箴言12章1節〜8節)



 訓戒を愛する人は知識を愛する。
 叱責を憎む者はまぬけ者だ。(箴言12章1節)
 善人は主から恵みをいただき、
 悪をたくらむ者は罰を受ける。(2節)
 人は悪をもって身を堅く立てることはできず、
 正しい人の根はゆるがない。(3節)

 ここまで、何度も繰り返されている訓戒ですが、その原則が、現実の人生でどのように結実するかが語られます。「身を立てる」は、人生を作る上げることでしょう。「悪」の道はかならずつまづいてしまうのです。そもそも、根も茎もしっかりしておらず、葉を繁らせることもできないからです。

 しっかりした妻は夫の冠。
 恥をもたらす妻は、
 夫の骨の中の腐れのようだ。(4節)

 父権社会であっても、妻の存在は大きかったのでしょう。妻によってますます栄達に届く男もいれば、妻によって思わぬ恥をかく男もいたのです。

 正しい人の計画することは公正で、
 悪者の指導には欺きがある。(5節)
 悪者のことばは血に飢えている。
 しかし正しい者の口は彼らを救い出す。(6節)
 悪者はくつがえされて、いなくなる。
 しかし正しい者の家は立ち続ける。(7節)

 正しい人と悪者を対比しています。このたとえは際限なく作れそうですね。
 これはむしろ、誰かを指して「正しい人であるか悪者であるか」を判定するために言われているのではないように思えます。公正でなければ正しいとはいえず、人を指導するのに、欺きがあってはならないと、聞く人が自分に照らして考えるべきなのでしょう。

 6節は、裁判での証言でしょうか。偽りの証言は人を陥れます。陥れられそうな人も、正しい人の正しい証言で救い出されるでしょう。
 一時的に、繁栄や成功を見ても、悪者のそれが永続することはありません。時間が「いつわり」をあぶりだすのです。偽物や悪者は「長い時間」変わらず、りっぱに輝きつづけることはできません。

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 人はその思慮深さによってほめられ、
 心のねじけた者はさげすまれる。(8節)

 参考に、この節の英語訳を見てみました。「思慮深さ」の方は、NAS訳、MEV訳、NIV訳、TEV訳では、それぞれ、his insight,wisdom,prudence、intelligentが使われています。聡明さを表わす単語ですが、ニュアンスとしては、思慮深さと考えてよいように思えます。
 一方、「心のねじけた者」は、NAS訳、MEV訳では、perverse mind,perverse heart,NIV訳、TEV訳では、warped mind, stupid が使われています。いずれも、ねじまがった心、その結果として愚か者の意味でしょう。
 わざわざ英語訳にあたってみたのは、「心のねじけた」と言う言い方は、最近の日本ではあまり使わない気がしたからです。「めんどうな人」「うざい」なんて言いかえられているのではないでしょうか。

 聖書の中での、「ねじけた」は何よりも、神からの言葉を、素直にまっすぐ受け取れないことを意味していると思います。
 たんに人と合わないとか、適応力がないとか、「楽しい雰囲気」を出せないだけで、「ねじ曲がっていたり」「面倒な人」だったりするのではないということです。

 どうも人とうまくやっていけないと思う人も、それだけで悲観することはないでしょう。うまくいかないことを人間の基準であれこれ思い煩い、ときに仕返しをしたくなるような心こそ危険です。
 神を見あげ、そのみこころを慮(おもんばか)って、少なくとも、神さまから「さげすまれる」ことがないように、生きたいものです。








posted by さとうまさこ at 10:54| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする