2016年01月23日

Coffee Break箴言31 身分の低い人で職を持っている者は、高ぶっている人で食に乏しい者にまさる。(箴言12章9節〜14節)



 身分の低い人で職を持っている者は、
 高ぶっている人で食に乏しい者にまさる。(箴言12章9節)


 これはまさに、「そのとおり」ですね。
 貧しい人がほとんどだった時代には、身分の低い家の子どもは「手に職」をつけるため、徒弟(とてい)や丁稚(でっち)になったのです。大工や鍛冶屋、指物師、読み書きそろばんなどで、職人や商人として身を立てたのです。江戸っ子の「宵越しの金は持たねえ」という啖呵も、手に職があり商売がある者の「食いっぱぐれのなさ」が背景になっているのです。

 一方、「士農工商」の中で一番身分の高い武士は、貧しくても「誇り」がありました。実際江戸時代も後期には、経済を握っているのは商人でしたから大名家でも、いつも火の車だったと言われています。まして、下級武士は困窮していたのです。貧しければ貧しいほど、「誇り」だけが頼りにです。「武士は食わねど、高楊枝」などと言うのは、豊かな庶民がやせ我慢の武士を揶揄した言葉ですね。
 職を持って、「手のわざ」で暮らすのが、神様の御心なのです。ぎゃくに「高ぶりの心」を、神様のもっとも嫌われるのです。

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 正しい者は、自分の家畜のいのちに気を配る。
 悪者のあわれみは、残忍である。(10節)
 自分の畑を耕す者は食糧に飽き足り、
 むなしいものを追い求める者は思慮に欠ける。(11節)

 10節も11節も誠実に仕事をする者と、そうでない者を対比しています。
 古代イスラエルでは、基本的な生業は農業でした。しかし、牧畜も大切な仕事でした。乳と蜜の流れる地を楽しむためには、羊の乳が必要ですし、労力は、ろばやらくだに肩代わりしてもらわなければなりません。礼拝に行くときには羊やヤギや雄牛をささげるのです。家畜を大切にするのは、自分の暮らしの質を高めることにもつながります。

 農業は、ある意味で単調な重労働です。その上、天候や害虫などにその収穫を左右されます。その結果、一攫千金など、「むなしいもの」を追い求める者がいたのでしょう。

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 悪者は、悪の網を張るのを好み、
 正しい者の根は、芽を出す。(12節)
 悪人はくちびるでそむきの罪を犯して、
 わなにかかる。
 しかし正しい者は苦しみを免れる。(13節)

 悪者と正しい人との対比は、箴言の論理の基調ですね。これは、世の中には「悪者」と「正しい人」の二種類がいる。「悪者に気をつけなさい」というような警鐘ではないように思います。正しい人も、ここに記されているような間違いを犯して「悪者」になり得ると自覚を促しているのではないでしょうか。
 苦しみを免れるためには、正しい者で居続けなければならないのでしょう。

 人はその口の実によって良いものに満ち足りる。
 人の手の働きはその人に報いを与える。(14節)

 口と手は、私たちが正しく生きるための大きな手段です。ことばを謹んでコントロールし、しっかりと堅実な労働をしているかぎり、良いものに満ちたり、報酬を受けることができるのです。






posted by さとうまさこ at 09:58| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする