2016年01月30日

Coffee Break箴言・38 わざわいは罪人を追いかけ、幸いは正しい者に報いる。(箴言13章21節〜25節詩篇23篇)



わざわいは罪人を追いかけ、
幸いは正しい者に報いる。(箴言13章21節)


 箴言は、「訓戒の書物」ですから、その背景にはどうしても「勧善懲悪」の思想が入るようです。それは無理もありませんね。子どもを諭すのに、「罪に対して罰がある」ことを教えるのは当然だからです。
 大人になって世の中を見てみると、悪者の方が「得をしている」と思えるようなことは多々あるのですが、それでも、訓戒を守っている方が「幸い」と覚える時が来るのは事実でしょう。

 ミステリーなどでは、罪を犯した人がその罪を消そうとして、罪の上塗りをしていきます。第二の殺人を犯したり、自分の罪をだれかになすりつけようと工作したりします。つまり、罪が罪を追いかけるのです。
 正しく行うことには、なによりも「神における平安」があります。この平安が、じつはこの世でもっとも高価な財産ではないでしょうか。

★★★★★

善良な人は子孫にゆずりの地を残す。
罪人の財宝は正しい者のためにたくわえられる。(22節)
貧しい者の開拓地に、多くの食糧がある。

 子どもは、親から養育されるだけではありません。親からこの世で生きるための「必要」を相続するのです。遺産は、遺言にかかれるような金品や財産だけではありません。むしろ法律の対象にならないような「ゆずりの地」こそ、重要なのではないでしょうか。

 神にあって素直なこと、神にあって強い性質、神にあって努力家・・・ETC.。
 子どもに、神を知ることを教えると、子どもは、そこからどんな原野でも切り開いていく力を得るのです。罪びとの財宝も、けっきょくは、善良な人の子孫が受け継ぎます。
 いま貧しいかどうかではなく、神に信頼して原野を開拓することこそ大切なのだと、箴言は語っていると思います。

★★★★★

公義がないところで、
財産は滅ぼし尽くされる。(23節)

 公義は、もちろん、ここでは「神の正義」です。一時的に得をしたように見えても、神の義のないことをすれば、結局、財産を失うのです。親は、その原則を子供にきびしく教えなければなりません。
 むちは、神の義を子に徹底させるための道具の象徴です。ダビデも歌っています。

あなたのむちとあなたの杖、それがわたしの慰めです。(詩篇23篇4節)

むちを控える者はその子を憎む者である。
子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる。(24節)

 赤ん坊は、なんの教えも躾も受けることなく、人間になることはできません。大人になって、食欲を満たし、平安を生きることができるためです。

正しい者は食べてその食欲を満たし、
悪者は腹をすかせる。(25節)





posted by さとうまさこ at 09:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする