2016年01月31日

Coffee Break箴言・39 牛がいなければ飼葉おけはきれいだ。(箴言14章1節〜4節)



 知恵のある女は自分の家を建て、
 愚かな女は自分の手でこれをこわす。(箴言14章1節)

 ここで、とつぜん女性についての訓戒になります。これは13章1節の「知恵のある子は父の訓戒に従い、あざける者は叱責を聞かない。」に対応しているのでしょう。男の子の横に女の子もいて、いっしょに訓戒を与えていると考えるべきなのかもしれません。
 公の場では、男の子だけに教育を与えたかもしれませんが、家庭では父親が子供たち全員を教えていたのでしょう。
 それにしても、「知恵のある女」の責任は具体的です。「家を建て、壊す」存在なのです。父権社会であっても、じっさいに家を治めるのは女で、彼女の性格や能力や資質が「家の差」になったのでしょう。

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 まっすぐに歩む者は、主を恐れ、
 曲がって歩む者は、主をさげすむ。(2節)

 これは、主を恐れる者は「まっすぐ」歩む。主をさげすむ者は「曲がった道」を歩まないではいられない。と言い換えられるでしょうか。主から目を離さず、まっすぐその知恵を聞きながら歩む大切さが繰り返されています。

 愚か者の口には誇りの若枝がある。
 知恵のある者のくちびるは身を守る。(3節)

 口(唇、舌)を制する大切さも繰り返されています。誇りの若枝とは、じつに皮肉の効いた表現です。若枝の生々しい美しさと、自惚れを平気で口にする人間の「若さ」を重ねているのです。日本語でも言いますね。得意げにとうとうと自説を述べている青年に、「彼はまだ若いね」などと。

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 牛がいなければ飼葉おけはきれいだ。
 しかし牛の力によって収穫は多くなる。(4節)

 生きていくうえで、絶対に欠かせない仕事は、「清掃」です。どんなに無精者でも風呂に入ります。ベッドやふとんを使わないわけにはいきません。着る物も取り替えます。食事をすれば食器が汚れます。テイクアウトの物しか食べないとしても、使い捨ての容器を捨てなければなりません。これらは、生きている証拠なのです。
 牛を飼うのは、生活のためです。耕作に牛がいるといないでは、収穫が違ってきます。しかし、牛のために「世話をする」必要が起るのです。
 わざわざ、このような訓戒が入っているのは、「飼い葉おけを洗う」程度の小さな「仕事」にも文句をいう子どもがいたからでしょうか。
  自分の身について回る雑用は、考えてみると、自分を支えてくれている仕事の結果なのです。
 
 しばしば雑用が面倒に感じられる自分も、あらためて肝に銘じたい言葉です。








posted by さとうまさこ at 08:38| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする