2016年02月08日

Coffee Break箴言・47 利得をむさぼる者は自分の家族を煩わし、まいないを憎む者は生きながらえる。(箴言15章25節〜29節)



主は高ぶる者の家を打ちこわし、
やもめの地境を決められる。(箴言15章25節)

 主の憎まれる者=悪者に、もうひとつのカテゴリーが加わります。「高ぶる者」です。これも、神に対して高ぶることであって、私たちの目から「えらく見えるかどうか」「近づきがたいかどうか」ではありません。たとえば身分の高い人,社会的地位が高くて直接口を利くこともできない人は、ある意味高い所にいるように思えます。また、正論を述べて譲らないような人も、時に高ぶって見えるかもしれません。けれども、本当に高ぶっているかどうかは神様が判断されるのです。そのような者は、栄えているように見えてもかならず、神がその家を打ちこわして下さるというのです。

 強い者によって、弱い者は、わずかな持ち物さえ取り上げられることは、歴史が語っています。夫がいなくなったやもめは、わずかな地所でさえどんどんと削り取られるようなことがあったのでしょう。しかし、主は悪者の高ぶりを見ておられるのです。
 北イスラエル王国の王、アハブは、イズレエル人ナボテが持っているぶどう畑が欲しくなり、妻イゼベルが夫のためにナボデを冤罪に陥れて、その畑を奪った話が思い出されます。(T列王記21章1節〜16節)その結果、神はエリヤを通じて彼らの悲惨な最期を予言し、その通りになります。(同19章、U列王記9章25節〜36節)

 つぎも、心に刻みたい言葉です。

 悪人の計画は主に忌みきらわれる。
 親切なことばは、きよい。(26節)

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 利得をむさぼる者は自分の家族を煩わし、
 まいないを憎む者は生きながらえる。(27節)

 「まいない」は、賄賂のことです。正当な商売や労働の対価として利益を得るのは、「貪る」とは言いません。便宜を図ってもらっても、「それが仕事の人」に報酬を払うのは当然です。しかし、官吏などのように公けに雇われ、報酬も得ている者がその立場を利用して、金品をもらうとそれは賄賂です。最近も、どこか地方の公務員が、窓口に相談に来る人の土地を不動産業者に仲介して、バックマージンを取っていて問題になりました。
 役人の贈収賄の話は後を絶ちません。賄賂が悪であるのは、古今東西にその話がつきないことでも、わかります。

 しかし、賄賂は贈収賄と言われるように、それを贈る側にも罪があります。
 利権のある地位にいる者は、だから、物を送られて見返りを求められるとき、自分を律しなければならないのでしょう。神の前に出て、どう返事をすべきか考えなさいと、戒められています。

 正しい者の心は、どう答えるかを思い巡らす。
 悪者の口は悪を吐き出す。(28節)
 主は悪者から遠ざかり、
 正しい者の祈りを聞かれる。(29節)








posted by さとうまさこ at 09:51| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする