2016年02月13日

Coffee Break箴言・52 直ぐな者の大路は悪から離れている。(箴言16章13節〜25節)

 

 王が神から任命を受けたとの自覚があり、神の御心を実現するのだという決意があるかぎり、政治に神の支配が反映されるでしょう。つまり、「人間の国」――世の国がそのままでも「神の国」に近づくことができるのです。
 
 神の御意思を代行しているとの自覚があると、王は当然、正義を喜びます。

正しいことばは王たちの喜び。
まっすぐに語る者は愛される。(箴言16章13節)
王の憤りは死の使者である。
しかし知恵のある人はそれをなだめる。(14節)
王の顔の光にはいのちがある。
彼のいつくしみは後の雨をもたらす雲のようだ。(15節)

 とくに、王制が当たり前の時代には、統治者は神の前にへりくだった者であるべきでした。その顔に現れる憤りも光もいつくしみも、神が表わされると同じ反応であるべきでした。そうすれば、神の威光の前にひれ伏すように、民は王の前にひざまずき王を尊敬し、国は良い方向に進んで行くでしょう。

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知恵を得ることは、黄金を得るよりはるかにまさる。
悟りを得ることは銀を得るよりも望ましい。(16節)

 ふたたび「知恵」です。箴言の諭しの目的が「知恵や悟りを得させること」にあるのですから、何度もここへ帰ってきます。

 知恵の根本は奸計ではありません。ただ真っ直ぐでありなさいというのです。自分の命を大切に思うなら、自分が真っ直ぐな大路を歩いているか、つねに監視している必要があります。

直ぐな者の大路は悪から離れている。
自分のいのちを守る者は自分の道を監視する。(17節)

 真っ直ぐな道かどうかの判断は、他の角度からでもできます。それが、つぎに語られます。

高ぶりは破滅に先立ち、
心の高慢は倒れに先立つ。(18節)
へりくだって貧しい者とともにいるのは、
高ぶる者とともにいて、
分捕り物を分けるのにまさる。(19節)

 高ぶる人は必ず破滅するのです。ところが、私たち人間はややもすれば隆盛な人に擦り寄って行きます。隆盛な人との付き合いは、たしかに仕事や勉強に「得るところが多い」と感じられるからです。ですが、その人も「高ぶりや高慢」があるかどうかは、きちんと見極めていなければなりません。高ぶる人が倒れる時にいっしょに倒れる可能性があるのです。それよりは、心のへりくだった貧しい人といる方が神さまがお喜びになるのではないでしょうか。
 真っ直ぐな大路を歩くために大切なのは、次のような態度です。

みことばに心を留める者は幸いを見つける。
主に拠り頼む者は幸いである。(20節)
心に知恵のある者は悟りのある者ととなえられ、
その快いことばは理解を増し加える。(21節)
思慮を持つ者にはいのちが泉となり、
愚か者には愚かさが懲らしめとなる。(22節)
知恵のある者の心はその口をさとし、
そのことばに理解を増し加える。(23節)
親切なことばは蜂蜜、
たましいに甘く、骨を健やかにする。(24節)

 人の見るところだけに心を奪われることは危険です。次のようにある通りです。

人の目にはまっすぐに見える道がある。
その道の終わりは死の道である。(25節)








posted by さとうまさこ at 09:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする