2016年02月15日

Coffee Break箴言・54 一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。(箴言17章1節〜3節)



 一切れのかわいたパンがあって、
 平和であるのは、
 ごちそうと争いに満ちた家にまさる。(箴言17章1節)

 豊かな現代、このような言葉に実感を持てる人は、どれほどいるでしょうか。15章17節に「野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる」と同義の言葉がありました。人は誰でもおいしい物で満腹したいのですから、これもある意味逆説でしょう。

 楽園を追放されて以来、人は顔に汗を流して働かなければ生きていけないものとなってしまったのです(創世記3章19節)。さらに、カインが犯した罪で土地は呪われてしまった(創世記4章11節12節)のです。私たちは、食べ物のために苦しみ、人と争うようになってしまったのです。ですから、ごちそうや肥えた牛は、当然戦いの勝利の象徴です。満腹する楽しさはあっても、争いをはらんでいる戦利品なのです。

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 思慮のあるしもべは、恥知らずの子を治め、
 その兄弟たちの間にあって、
 資産の分け前を受け継ぐ。(2節)

 たとえ、しもべの身分であっても思慮を持つことが大切だというのです。神はすべてを見ておられ、真実な者を引き上げて下さるからです。
 最近の日本は戦国時代に焦点が当てられた歴史検証が人気ですが、成功した武将、最後に勝利して行く大名たちには、思慮のある家臣がいたようです。また、長く続く家は、賢い跡継ぎを育てる制度だけでなく、しっかり者の家臣がいたのです。

 銀にはるつぼ、金には炉、
 人の心をためすのは主。(3節)


 人は生まれたままの「無垢」では生きていけません。また、神もそのような人間を望んでおられるのではなさそうです。アダムとエバは、文字通り生まれたままの人間でした。善悪も知らず、裸であることも知らず、自分たちが無防備であるとの自覚もないので、簡単にヘビの姿をした悪魔に誘惑されてしまいました。

 楽園を追放された後の人間には、さまざまな試練がふりかかってきました。罪に罪を重ねる人間を一度は滅ぼされたのです。神はノア一家だけを箱舟に避難させられたのです。
 けれども、そのノアの子孫達からも罪はひろがりました。そのために、人はさまざまな争いや労苦を生きていくことになります。けれども、苦難や試練は、人を精錬する炉だとの自覚も生まれました。
 主は、おのれの愛する者に、ムチを振るわれるのです。(へブル人への手紙12章6節)
 その結果として、神の前に成長することこそ大切だと言うのが、箴言の態度です。






posted by さとうまさこ at 10:50| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする