2016年02月17日

Coffee Break箴言・56 わいろは、その贈り主の目には宝石、(箴言17章8節〜12節、出エジプト記23章8節)




 わいろは、その贈り主の目には宝石、
 その向かう所、どこにおいても、うまくいく。(箴言17章8節)

 聖書はもちろん、賄賂を戒めています。神はイスラエルの民に十戒を下さったと同時に、十戒をさらに具体的にした多くの戒めを与えておられます。(出エジプト記20章〜23章)その個々の戒めの中に、
 わいろを取ってはならない。わいろは聡明な人を盲目にし、正しい人の言い分をゆがめるからである。(出エジプト記23章8節)とあります。

 これは、今で言えば収賄側への戒めです。今日では、贈賄側も等しく罰せられるようになっています。箴言のこの箇所は、贈賄側を戒めているのです。

 椅子取りゲームの社会では、おいしい利権や社会的ポジションはたいてい厳しい取り合いになります。正々堂々公明正大に「ヨーイドン」をやっていては、取りっぱぐれることも多いわけです。自分のためだけにこっそり椅子を取り置いてもらうとか、あらかじめスタートラインに細工してもらうとかできたらと、つい思うのです。
 便宜を図ってもらうために昔から使われてきたのが「わいろ」です。残念ながら、古今東西賄賂の絶えることはなかったのでしょう。だから、箴言も、この先、何度もわいろについて戒めています。

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 そむきの罪をおおう者は、愛を追い求める者。
 同じことを繰り返して言う者は、
 親しい友を離れさせる。(9節)

 罪を負おうとは罪を許すこと(新実用聖書注解・いのちのことば社P873)

 罪を許した後は、同じことを持ちださないようにという戒めです。たしかに、人は許したようでもなかなか忘れることはできません。それを、意思的に断ち切るのが「知恵」だと語られているようです。

 悟りのある者を一度責めることは、
 愚かな者を百度むち打つよりもききめがある。(10節)
 ただ逆らうことだけを求める悪人には、
 残忍な使者が送られる。(11節)
 愚かさにふけっている愚かな者に会うよりは、
 子を奪われた雌熊に会うほうがましだ。(12節)

 ここでも、「愚か者」「悪人」と「悟りのある者」が対比されています。「愚かさにふけっている愚か者」とは、また容赦のない形容です。

 悟りのある者なら、一度責められれば「理解する」ことが、愚か者にはわかりません。それはたぶん、愚か者が「逆らうこと」そのことに溜飲を下げる性質があるからかもしれません。悪を飲む快感そのものが喜びになってしまった愚か者と付き合うのは、たしかに大変です。(自分がそうでないことを願いつつ・・・)
 森で、怒り狂った母熊に遭うよりも、災難だというのです。









posted by さとうまさこ at 09:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする