2016年02月19日

Coffee Break箴言・58 愚かな者が思慮もないのに、知恵を買おうとして、手に代金を持っている。(箴言17章17節〜21節)



 友はどんなときにも愛するものだ。
 兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。(箴言17章17節)

 友も兄弟も、今日の日本で考えるより、広い範囲の「関係」を指していたと思われます。
 荒野を転々とする遊牧生活や商人にとって、たまたま出会った相手との取引や関わりは当たり前のことだったでしょう。旅人を自分の天幕に招いて一杯の水を振る舞い、また、一夜の宿を提供する中で、互いに交流があり、知恵が広がる時代だったのです。ビジネスの情報も縁組も政治状況も、人から聞き、人間関係のうちに自分の行く道を判断したのです。今では、情報はネットやメディアを通じて日々取得することができ、自分の目と勘を信じて、人間関係を拓いて行かなくても良いようにも見えます。
 けれども、生身のひと一人から得る情報は、とても大きいのです。直接は何の益ももたらさないように見える相手であっても、あなどってはいけないのです。心を病む人、麻薬や酒に溺れる人は、基本的には、人間関係がうまくいっていないのではないでしょうか。

 ここでいう兄弟も、今の時代の同じ親から生まれた人間関係以上のものです。イスラエルでは、イスラエル人同士は「兄弟」だと認識していました、
 今日、クリスチャンが同じクリスチャンを「兄弟姉妹」と呼び合うのと同じです。ひとりの神(親)によって造られた人間同士なのですから、兄弟姉妹なのです。これは、肉の親による兄弟姉妹より強いきずながあるのです。「苦しみを分け合う」と認識されているのですから。

 しかし、保証人になることは、隣人であっても戒められています。

 思慮に欠けている者はすぐ誓約をして、
 隣人の前で保証人となる。(18節)


★★★★★
 
 そむきの罪を愛する者はけんかを愛する。
 自分の門を高くする者は破滅を求める。(19節)

 喧嘩っ早いことを自慢する者がいますが、それは、神に対する「そむき」なのです。
 門を高くするとは、「喧嘩をしている人間が自己防衛をすること」を意味しているのではないかとと、新実用聖書注解(いのちのことば社)は説明しています。防衛のために、門や塀を高くして守ろうとするのです。しかし、防衛設備(軍備)が争いの根本解決にならないのは、歴史が証明しています。剣を取る者は剣で滅びる(マタイの福音書26章52節)のです。

 心の曲がった者は幸いを見つけない。
 偽りを口にする者はわざわいに陥る。(20節)
 愚かな者を生む者には悲しみがあり、
 しれ者の父には喜びがない。(21節)

 心が曲がっているか、偽りを口にしたかは、なかなか当人にはわかるものではありません。聖書全体を読むときの視点の要点は、愚か者は「だれか他の人」で、正しい人は自分と言う図式ではないと自覚しなければならないのでしょう。神の前に正しい人などいないのですから。
 愚か者――愚かな行いをしたとき、だれよりも、父親が胸を痛めるのです。これは、肉の父親のことだけではなく、なによりも、天の父の思いではないでしょうか。







posted by さとうまさこ at 08:21| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする