2016年02月20日

Coffee Break箴言・59 陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす(箴言17章22節〜28節)



 陽気な心は健康を良くし、
 陰気な心は骨を枯らす。(箴言17勝22節〜28節)


 これ、全くこの通りですね。NHKの今日の健康の標語にしてもらいたいくらいです。

 聖書の神様は因果応報や現生利益の神ではありませんから、聖書書物のなかには、世俗的な価値観からは理解に苦しむ様な物語もあります。
 モーセ五書に見るモーセの死一つをとっても、なんだか得心できないと思わせられるわけです。せっかく、四十年もイスラエルの民を率いてヨルダン川の手前まで来たのだから、あと一歩でカナンに入れる、その時になって、神はモーセがカナンに入れないこと、ひとりでネボ山に入って死ぬようにお命じになるのです。(申命記34章)

 小さな功績でもたたえてもらいたい、メダルや褒賞をもらって、死んだときには盛大な葬儀で送られ、出来ればモニュメントの一つも建ててもらいたいと願う人は多いのです。
 ところが、モーセの墓はどこにあるのか、だれも知らないと言う結末です。もちろん、キリスト者にとって、この世の墓やメダルは問題ではありません。モーセの最後はすばらしいのです。(もちろん、神様に大きく用いられた彼の全生涯が!)

 対して、箴言は、もう少しわかりやすいのです。神の価値に則って生きることが、人間的な価値にもつながるように書かれています。

 ★★★★★

 悪者は人のふところからわいろを受け、
 さばきの道を曲げる。(23節)

 またしても、賄賂です。よほど賄賂が横行していたのでしょうか。上司やお世話になった方への贈り物そのものは、今日でもあることです。それで、さばきが曲げられるとしたら、その上司は「悪者」なのです。

 悟りのある者はその顔を知恵に向け、
 愚かな者は目を地の果てに注ぐ。(24節)
 愚かな子はその父の憂い、
 これを産んだ母の痛みである。(25節)
 正しい人に罰金を科し、
 高貴な人をその正しさのゆえにむち打つのは、
 どちらもよくない。(26節)

 正しい人=悟りのある者=高貴な人、愚かな者=愚かな子と、またしても対比が続きます。正しさを打つのは、ただの愚か者より、もっと悪いのですね。

 しかし、神様ご自身が「正しい人はいない」と仰せのように、つい、愚か者になってしまう弱い人間は、どうしたらいいのでしょう。
 それが次の答えです。

 自分のことばを控える者は知識に富む者。
 心の冷静な人は英知のある者。(27節)
 愚か者でも、
 黙っていれば、知恵のある者と思われ、
 そのくちびるを閉じていれば、
 悟りのある者と思われる。(28節)

 「はい。仰せのとおりです。」と思わず頭を垂れてしまいます。








posted by さとうまさこ at 10:16| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする