2016年02月24日

Coffee Break箴言・62  人の心は病苦をも忍ぶ。  しかし、ひしがれた心にだれが耐えるだろうか。(箴言18章11〜15節、ヨハネの福音書11章25節26節)



 富む者の財産はその堅固な城。
 自分ではそそり立つ城壁のように思っている。(箴言18章11節)

 財産がたっぷりとあるのは、堅固な城に住んでいるような気分になることでしょう。
 円高も株暴落も、戦争でさえ恐くないと思えるほどの資産があって、たとえば、スイス銀行に多額の預金をしていたら、どこに行っても何もしなくても暮らしていけるのです。一見平等に見える現代でさえ階級はあり、堅固な城を構えて悠然と暮らせる人がいるのは、どうやら事実のようです。
 ただ、どれほどの財産に支えられていても、それはたしかに完璧ではないのです。人は結局、「死に向かって」歩いているのです。「そそり立つ城壁」ごと、死の淵に落ちていくのです。
 
 鉄壁の城壁に守られていると思うことは、破滅を招くことです。
 ほんとうの城壁は、金銀財宝ではなく「栄誉」であるべきなのです。栄誉をもたらすのは、謙遜だと箴言の著者は言います。

 人の心の高慢は破滅に先立ち、
 謙遜は栄誉に先立つ。(12節)

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 よく聞かないうちに返事をする者は、
 愚かであって、侮辱を受ける。(13節)

 「よく聞く」大切さは、人間関係の基本としてあらゆる機会に教えられるのですが、私などはなかなか実践できないのです。対人折衝に何らの齟齬、断絶を見て初めて、自分の失敗に気づかされるのです。

 人の心は病苦をも忍ぶ。
 しかし、ひしがれた心にだれが耐えるだろうか。(14節)
 悟りのある者の心は知識を得、
 知恵のある者の耳は知識を求める。(15節)

 たくさんの病人が、多くの病院で深刻な病と闘っています。人間は不治の病であってもなんとか治療して元気になりたいと思うのです。生きようと思うかぎり、大きな傷痕の残る手術も、副作用の大きい抗がん剤や辛いリハビリにも、立ち向かえます。しかし、心がひしがれた瞬間、私たちは耐えきれなくて壊れてしまうのではないでしょうか。

 さいわい、私たちは謙遜になって耳を傾ければ、たしかな知識が得られます。
 たとえ、どれほどの絶望の先にも、それが「死」であっても、死は終わりではないと、断言して下さる方の声が聞こえるのです。
 死んでも生きると宣言して下さる方との、天における生は、今とは比べようもないすばらしいものだと、教えられるのです。

 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」(ヨハネの福音書11章25節26節)








posted by さとうまさこ at 10:05| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする