2016年02月28日

Coffee Break箴言・66 人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。(箴言19章21節〜29節)



 人の心には多くの計画がある。
 しかし主のはかりごとだけが成る。(箴言19章21節)


 この言葉を座右の銘とするなら、物事に対する人の態度は揺るぎがないものとなるのではないでしょうか。確かに、私たちは「計画の中」を生きているといっても過言ではありません。どんなに自主性のない生き方でも、その日その日の目的や夢や計画はあるわけです。家庭においては、子育てもマイホーム購入も親の介護も自分の老後も、あるカレンダーの中に入っているわけです。仕事をしている人は、その中で計画があるでしょう。そうして計画を持って進むのが人生ですが、同時に、計画の多くは「狂う」のです。人は、計画が狂うのを恐れ、おびえます。なかなか自分の計画通り踏み出せない場合、たいてい、計画に対する確信がないからです。「失敗したら、どうしよう!」

 日本語にもゆるぎのない態度を表わすたくさんの慣用句があります。「さとる」「腹をくくる」「腹が据わる」「肝が据わっている」
ふつうは、たくさんの挑戦をしていろいろ失敗もして、人間として「一皮むけて」、「腹が据わる」人になるのです。
 でも、そう言いながらも人間はあれこれ「惑う」でしょう。
 聖書は、そのような人間に最高のことばを与えてくれます。
 主のはかりごとだけがなる、のです。

 計画を思う時から、それは主のはかりごとだろうかと謙遜に祈ってみる必要があるのではないでしょうか。

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 人の望むものは、人の変わらぬ愛である。
 貧しい人は、まやかしを言う者にまさる。(22節)
 主を恐れるなら、いのちに至る。
 満ち足りて住み、わざわいに会わない。(23節)
 なまけ者は手を皿に差し入れても、
 それを口に持っていこうとしない。(24節)

 神が厭われるものが何かが、繰り返されます。人は他者の「愛=誠実」を望んでいるのです。まやかしを言う人に愛があるでしょうか。初めは少し嬉しがらせてくれる人も、誠実でない行いや態度はやがて人に露見してしまいます。
 主を恐れている人は、まやかしを恥じるでしょう。誠実であり続けることは「満ち足りること」であり、長生きの秘訣です。

 とくに、主が嫌われることに、「怠惰」があるようです。目の前にごちそうがあっても、それを食べるために手を動かすことさえめんどうな人間。食事に関しては、ちょっと耳を疑うそうになりますが、でも、多くの人は、このように目の前のごちそうに手をつけていないのかもしれません。それは、結局「怠惰」だと、主は断定しておられるのです。

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 あざける者を打て。
 そうすれば、わきまえのない者は利口になる。
 悟りのある者を責めよ。
 そうすれば、彼は知識をわきまえる。(25節)

 人を育てるのは、金属の鍛錬と同じです。火に入れて叩き、水に入れて叩く。
 なかなか親の思い通りにならない子は、「打て」と命じられています。また、物分かりの良い子は「さらに責めよ」なのです。知識と言うのは、天性の賢さなどで得られるものではないのでしょう。

 父に乱暴し、母を追い出す者は、 
 恥を見、はずかしめを受ける子である。(26節)
 わが子よ。訓戒を聞くのをやめてみよ。
 そうすれば、知識のことばから迷い出る。(27節)

 十戒が至上の戒律であった時代にも、父に乱暴し、母を追いだすような者がいたのかもしれません。それは結局、その子の恥なのです。そんな大人にしないためにも、親は子どもを「打ち」「責めよ」と繰り返されているのでしょう。

 よこしまな証人は、さばきをあざけり、
 悪者の口は、わざわいをのみこむ。(28節)
 さばきはあざける者のために準備され、
 むち打ちは愚かな者の背のために準備されている。(29節)

 裁判の場をあざけることも、神の嫌われることです。偽りの証人になれば、やがて「さばきをあざけった」自分の身に、むち打ちが及ぶでしょう。主は、「主のご計画を成される」のですから。







posted by さとうまさこ at 08:46| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする