2016年03月03日

Coffee Break箴言・70 「「悪に報いてやろう。」と言ってはならない(箴言20章22節〜26節)



 「悪に報いてやろう。」と言ってはならない。
 主を待ち望め。主があなたを救われる。(箴言20章22節)

 聖書は復讐を禁じています。申命記に、「復讐と報いとはわたしのもの、」と神のことばがあります。これを受けてパウロも言っています。

 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りにまかせなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである」わたしが報いをする、と主が言われる。」(ローマ人への手紙12章19節)


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 異なる二種類のおもりは主に忌みきらわれる。
 欺きのはかりはよくない。(23節)

 今日では、目に見える秤で不正を行なう人は少ないのですが、「異なる二種類のおもり」は存在します。人が完全に正しくありえない限り人の判断基準はしばしば変わるのです。むしろ自覚して、主が忌嫌われるものは何かを少しでも考えるのが、人にできる最善かもしれません。

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 人の歩みは主によって定められる。
 人間はどうして自分の道を理解できようか。(24節)
 軽々しく、聖なるささげ物をすると言い、
 誓願を立てて後に、それを考え直す者は、わなにかかっている人だ。(25節)
 知恵のある王は悪者どもをふるいにかけ、
 彼らの上で車輪を引き回す。(26節)

 今でも献金は、しばしば話題になります。ネットを見ると、献金が信仰を否定する第一の理由になってると言わぬばかりのサイトさえあります。自分の命も含めて、すべてのものは神が所有しておられると、頭では理解できても、ささげ物をするのは容易でないからでしょう。

 旧約の時代の動物のいけにえも同じです。ささげ物規定にある厳格な規則を見ると、繰り返し、傷のない雄の牛、羊、こひつじ、やぎとなっています。傷のない健康な家畜です。老いて肉が固くなり、種つけにも役立たず、群れの中で邪魔になるような動物ではありません。(レビ記1章3節、10節、3章1節6節)
 牛や羊一頭をささげ物にするのは、かなり大きなささげ物だったのでしょう。お金のない人は、鳩のような鳥でもよく、穀物でさえ許されたのです。そこで、大金持ちではないけれど、無理すれば羊をささげ物にできる人の中には迷ったのでしょうか。
 あるいは、信仰心に燃えて請願を立てる時には、つい、大きなささげ物をすると誓ったりする者もいたのでしょう。
 しかし、主への誓いは、「軽々しくする」ものではないのです。イエスさまも軽々しい誓いを、戒めておられます。(マタイの福音書5章33節〜36節)

 奉仕でも献金でも精一杯の物をささげるのは良いことでしょうが、誓ったかぎりは誓いを果たせと神が命じられているのです。
 神様は、できないことに同情できない方ではありませんし、大きなささげ物が、大きな約束の実現になるわけでもありません。
 人の目を気にしたりして、また一時の感情で大きなささげ物を誓うより、神様に対して真実な者になりましょうとは、ある牧師が教えて下さったことです。







posted by さとうまさこ at 10:43| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする