2016年03月08日

Coffee Break箴言・75 馬は戦いの日のために備えられる。 しかし救いは主による。(箴言21章28節〜31節)



 まやかしの証人は滅びる。
 しかし、よく聞く者はいつまでも語る。(箴言21章28節)
 悪者はあつかましく、
 正しい者は自分の道をわきまえる。(29節)
 主の前では、
 どんな知恵も英知もはかりごとも、役に立たない。(30節)

 主の憎まれるものが、繰り返し示されています。「まやかしの証人」「あつかましい悪者」が、どこか別の場所にいるのではなく、まあまあ健全な市民だと思っている自分の中にもいることを知らせることが、「箴言」の意図ではないでしょうか。
 神様の知恵や英知に太刀打ちすることなどできないとわかっていても、自分でいろいろはかりごとを巡らせるのが、人間ですね。

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「王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。馬をふやすためだといって民をエジプトに帰らせてはならない。『二度とこの道を帰ってはならない。』と主はあなたがたに言われた。(申命記17章16節) 
 
 これは申命記にある戒めです。エジプトで奴隷であったイスラエルにとって、エジプトはやはり、まばゆいばかりの先進国、軍事大国だったようです。荒野の四十年の間にも、先行きに不安を覚えてエジプトに戻ろうとした人たちがいました。(民数記14章1節〜4節)
 物が豊かで暮らし向きが良い国は、今日でも人々の憧れであり、目標です。しかし、豊かな場所が軍備によって守られているのは、現代も昔も同じです。
 
 馬は、旧約聖書の中では軍備を象徴していることばです。古代の世界的帝国は、すべて馬によって成立したといっても過言ではなかったのです。エジプトから馬を買ってはならないと戒めがあるのは、エジプトが馬を持って繁栄していたことを意味するのでしょう。アッシリヤもバビロンも、アケネメス朝ペルシャもギリシャやローマ帝国も馬によって弱小国を征服し、版図を広げていきました。14世紀、朝鮮半島から東欧までのを蹂躙し、短い時間に大帝国を築いたモンゴルは、馬を自在に操る遊牧民でした。
 馬は、航空機や車が完全に実用化される前の第一次世界大戦までは、有力な軍用兵器だったのです。
 しかし、そのような「完璧な軍備に守られた国家」「軍拡競争」が、人々を救ってきたのでしょうか。

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 馬は戦いの日のために備えられる。
 しかし救いは主による。(31節)
 
 ソロモンは、イスラエルの王でしたから、人が備える軍備より、主の守りの方がはるかに頼りになることを「知っていた」と思います。それでも彼は多くの馬を買い、軍備を整えました。

 ソロモンは戦車と騎兵を集めたが、戦車一千四百台、騎兵一万二千人が彼らの元に集まった。そこで、彼はこれらを戦車の町々に配置し、また、エルサレムの王の元にも置いた。(T列王記10章26節)

 王として世俗の国家をも治めなければならない時、軍備は仕方がないのでしょうか。
 それでも、ソロモンは、真に人間を救うのは「主」その方であることを、子供たちに、伝えたかったのです。神によって立てられた「神聖政治国家・イスラエル」を神様からゆだねられている王として、当然ですね。







posted by さとうまさこ at 09:55| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする