2016年03月09日

Coffee Break箴言・76  謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れと命である。(箴言22章1節〜5節)



 名声は多くの富よりも望ましい。
 愛顧は銀や金にまさる。(箴言22章1節)


 名声や評判、信用が社会の中で富を生むことは誰でも知っています。名声の結果、多くの人にご贔屓(愛顧)をいただけるようになったら、つまり、今風に言えばファンがたくさんできれば、「売れっ子」になります。売れっ子になることがどれほどの富につながるかは、企業にとっても、歌手や芸術家にとっても「宣伝」に躍起になることからもわかります。

 富む者と貧しい者とは互いに出会う。
 これらすべてを造られたのは主である。(2節)

 富む人が「貧しい人からはるかに隔てられて」存在しているのでないのは事実ですね。たとえば、居住地とか出かけるリゾート地とか、レストランとかホテルのランクは違うかもしれませんが、それでも、富む人は貧しい人のすぐ横にいるはずです。でなければ、快適で豊かな生活はあり得ません。
 貧しい人は富む人が経営する企業で働いていたり、富む人が流すお金を得たりして暮しているのです。もし、いっさいの富が回って来なければ、貧しい人も生活できません。

 日本のことわざにもあります。
 かごに乗る人、かつぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人。

 富の格差を感じさせられるとき、妬ましい気持ちや忸怩たる思い、社会批判が浮かぶかもしれませんが、聖書は、私たちの心理的葛藤に立ち入りません。ただ、どちらも、「神が造られた」と言うのです。

★★★★★

 利口な者はわざわいを見て、これを避け、
 わきまえのない者は、進んで行って罰を受ける。(3節)

 反面教師という言葉があります。誰かが間違いを犯してわざわいに遭う時、それを教訓とできるかどうかは人生を左右するかもしれません。私たちの中には、自分は特別だと思いたい気持ちがありますから、人のわざわいを見て避けるのではなく、自分はもっとうまくやれると挑戦したりします。
 しかし、「わざわいそのものも、神によって備えられたもの」という、謙遜な気持ちが大切だと思います。

 挑戦してはいけないのではなく、悪魔にそそのかされて挑戦することを戒めているのだと思います。
つぎの言葉も、この原則に繋がっています。

 謙遜と、主を恐れることの報いは、
 富と誉れと命である。(4節)
 曲がった者の道にはいばらとわながある。
 たましいを守る者はこれらから遠ざかる。(5節)

 大地震などが起った時、どのように対処するか検討し、対策を向上させるのは大切だと思います。人間の英知で出来ることは、可能な限り努力して実現させなければいけないのでしょう。けれども、「神がいるなら、なぜこんな悲劇が起こるのか」と、神に噛みつくのは間違っています。それなら同時に、神がいるから起ったすべての出来事――子供が生まれたとか、また新しい年を迎えられたとか、すばらしい朝に喜んでいるとか。食事がおいしいといったことすべてにも、神を思わなければ公平とは言えません。

 神のお造りになったこの地上で、神のお造りになった自分のいのちを楽しく享受しながら、自分自身は遭わなかった災害に批判を加えて神を侮辱するのは、みずから息の根を止めているようなものではないでしょうか。
 私たちにとって、たましいを守ることが何より大切ですが、聖書は、たましいが神の息からいただいたと記しています。(創世記2章7節)







posted by さとうまさこ at 10:20| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする