2016年03月15日

Coffee Break箴言・82  子どもを懲らすことを差し控えてはならない。(箴言23章9節〜27節)



 愚かな者に話しかけるな。
 彼はあなたの思慮深いことばをさげすむからだ。(箴言23章9節)

 世の中には、たしかにシリアスに物を言うのを嫌う風潮があります。「思慮深く見える」のは「うざい」と感じるのでしょう。それが、聖書をいただいた「神の民」の間でも「ありふれた」出来事だったのですね。つまり、人間の罪の性質の現れだとしたら、人間に共通する性質なのも当然ですが。

 また、このような性質は、愚か者と思慮深い人とに分けられて、語られているのではないのは、箴言のほかの部分と同じではないでしょうか。
 きわめて思慮深い人でも、同じことを他人が言う場合はさげすむ場合があります。愚か者になるときがあるのです。議論の中で「さげすみ」の態度が現れたら、たしかにそこで、話を中止すべきかもしれません。不毛な論争になるだけだからです。
 人間同士の中では、知恵のことばが高められていくことはないので、神が聖書を下さったのではないでしょうか。

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 昔からの地境を移してはならない。
 みなしごの畑にはいり込んではならない。(10節)
 彼らの贖い主は力強く、
 あなたに対する彼らの訴えを弁護されるからだ。(11節)

 ふたたび、「地境」です。今度は、「みなしごの土地の地境」です。土地を盗むという不正も相手が弱い立場である場合、さらに罪が重いのです。神がそんな非道を見逃されるはずがないのは、オムリの子アハブ(北王国・イスラエルの七人目の王・T列王記16章28節〜22章40節)が、領民ナボテのぶどう畑を、計略のよって奪い取った記録にも明らかです。(T列王記21章1節〜25節)

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 あなたは訓戒に意を用い、
 知識のことばに耳を傾けよ。(12節)
 子どもを懲らすことを差し控えてはならない。
 むちで打っても、彼は死ぬことはない。(13節)
 あなたがむちで彼を打つなら、
 彼のいのちをよみから救うことができる。(14節)

 教育現場で体罰が禁止されて久しいと思います。たしかに、立場が強い教師が子供を殴るのは問題です。私の子供の頃は、まだ軍隊帰りの先生も多く、「殴る」先生がいました。私も平手打ちを受けたことがありますが、その先生は人望があったし、自分は可愛がられていると確信があった(ノウテンキ!な性質です)ので、あまり気にしませんでした。しかし、その先生が転任した先では、学校帰りに何人かの男子生徒に待ち伏せされ袋叩きにあったと、聞きました。むちで打たれることを「侮辱だとしか感じない関係」で殴るのは、たしかに「暴力」でしかないかもしれません。

 さらに、今では家庭内でも、度を越した暴力は刑罰の対象になります。
 度を超しているかどうかは、「正しさ」だけでは判断できないと思います。だいたいにおいて親のいうことの方が正しいのです。ただ、その正しさには、神様がご覧になっても大丈夫でなければなりませんし、愛が伴っていないといけないと思います。
 
 わが子よ。もし、あなたの心に知恵があれば、
 私の心も喜び、(15節)
 あなたのくちびるが正しいことを語るなら、
 私の心はおどる。(16節)

 あなたは心のうちで罪人をねたんではならない。
 ただ主をいつも恐れていよ。(17節)
 確かに終わりがある。
 あなたの望みは断ち切られることはない。(18節)

 わが子よ。よく聞いて、知恵を得、
 あなたの心に、まっすぐ道を歩ませよ。(19節)
 大酒飲みや、肉をむさぼり食う者と交わるな。(20節)
 大酒飲みとむさぼり食う者とは貧しくなり、
 惰眠をむさぼる者は、
 ぼろをまとうようになるからだ。(21節)

 むちを振るう父親の最終的な目的は、神の前に正しい人間を作ることでなければいけないのでしょう。
 懲らしめる目的と、目の前の子どもは神様から預かった子どもだという責任と愛がいつも念頭になければならないのです。でないと、懲らしめは自己満足になり、殴られる方には痛みだけしか残らず、逆効果です。







posted by さとうまさこ at 09:09| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする