2016年03月20日

Coffee Break箴言・87  さばくときに、人をかたより見るのはよくない。(箴言24章23節〜29節)



 さばくときに、人をかたより見るのはよくない。(箴言24章23節)
 悪者に向かって、「あなたは正しい。」と言う者を、
 人々はののしり、民はのろう。(24節)
 しかし、悪者を責める者は喜ばれ、
 彼らにはしあわせな祝福が与えられる。(25節)
 正しい答えをする者は、
 そのくちびるに口づけされる。(26節)

 私たちは、学校で、立法、行政、司法の三権分立と習いました。権力は最低この三つに分けて独立を与えられていないと、政治は腐敗に繋がるのでしょう。ところが、三権のうち。司法は国民には「地味」に映るのではないでしょうか。裁判所は、「不正を判定するところであり」その判定基準に法律があるのは、理屈ではわかっていますが、法廷に持ちだすような「問題」は、出来るなら起らないほうが良い、法廷で白黒付ける前に話し合いで解決したほうが良いと、どこかで思っているのです。

 とくに、大きな裁判、世論が二つに割れるような裁判は、当事者でない者には「何が真実なのか」わからないこともあります。「悪者に向かって、あなたは正しい」と判定したのではないかと思わせられるのです。「不当判決!」と原告が泣いているような場面があるわけです。

 キリスト教国では、いまでも裁判の関係者、証人などが聖書に右手を置いて宣誓するのでしょうか。神の前で、真実を話すというのが、さばきの前提になっているのです。

★★★★★

 外であなたの仕事を確かなものとし、
 あなたの畑を整え、
 そのあとで、あなたは家を建てよ。(27節)
 あなたは、理由もないのに、
 あなたの隣人をそこなう証言をしてはならない。
 あなたのくちびるで惑わしてはならない。(28節)

 私たちが他人に対して偽りを言うのは、なによりも「自己の損得」に影響があるときではないでしょうか。ミステリーでは、都合の悪い自分の過去を知っている人間を殺すといった設定があります。暗い事実の前に、ゆする人間と、ゆすられる人間が対立しているのです。

 また、人間には栄えている人を妬む暗い心があります。「隣の芝生は青い」のです。イスラエルの王アハブには、領民ナボテのぶどう畑がとても素晴らしく見えました。彼に別の畑と交換してくれるよう申し入れましたが、先祖伝来の土地を大切に思うナボテは、拒絶しました。すると、アハブの妻イゼベルは夫に悪だくみを唆すのです。偽りの証人を立ててナボテを死刑に追いやり、ぶどう畑を取り上げます。(T列王記21章1節〜17節)

 王ではない者は、これほど悪らつなことはできません。しかし、罪人である人間は、だれでも人をうらやむ結果、悪を謀る可能性がないとは言えません。
 箴言のこの箇所は、「人のことをうらやんでいる間に、働きなさい」と忠告しているのでしょう。

「彼が私にしたように、私も彼にしよう。
私は彼の行ないに応じて、仕返しをしよう。」
と言ってはならない。(29節)

 神は、一貫して復讐を戒めておられます。悪い人を恨んで仕返しを考えている間に、自分の畑を耕し、家を建てる方が、たしかにポジティブです。








posted by さとうまさこ at 09:08| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする