2016年03月25日

Coffee Break箴言・91  喜ぶ者といっしょに喜び。泣く者といっしょに泣きなさい。(箴言25章14節〜20節、マタイの福音書4章4節、ローマ人への手紙12章15節)



 箴言25章は、とりわけ、身近な処世術につながるような訓戒が並びます。
 世に自己啓発本というものは多く、あとからあとから出てきますが、あれこれ読むより箴言一冊の方が良いのではないかと思うくらいです。
 しょせん、独創的な言葉など、めったに出てくるわけでなさそうです。人間には限界があるのでしょう。
 イエスは悪魔に対して言われました。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある」(マタイの福音書4章4節)
 
 贈りもしない贈り物を自慢する者は、
 雨を降らせない雲や風のようだ。(箴言25章14節)

 会社や仕事場、家族、友人への貢献を、ことあるごとに「宣伝する」人がいます。よく聞いていると、すでに行った出来事とこれから行うであろう出来事を混ぜてあらぬ自慢をしているときがあります。でも、聞かされる側は案外冷静に、彼(彼女)の行為を値踏みしているのです。「雨を降らせない雲や風のようだ」とは、皮肉がきいたたとえです。

 忍耐強く説けば、首領も納得する。
 柔らかな舌は骨を砕く(15節)

 首領の骨をも砕くような「柔らかな舌」を持ちたいものだと思います。それには、「巧言令色」ではなくて、「忍耐強さ」が必要なんですね。

 蜜を見つけたら、十分、食べよ。
 しかし、食べすぎて吐き出すことがないように。(16節)

 おいしい食事や楽しい娯楽、幸せな交わりがあるのは、祝福です。そのような時間は、誰でも思う存分味わいたいものです。でも、箴言は「食べ過ぎて吐き出すことがないように」と言うのです。「過ぎたるは及ばざるがごとし」でしょうか。
 それは、友達づきあいでも同じだと、つぎのような訓戒が続きます。

 隣人の家に、足しげく通うな。
 彼があなたに飽きて、
 あなたを憎むことがないようにせよ。(17節)

★★★★★
 
 隣人に対し、偽りの証言をする人は、
 こん棒、剣、また鋭い矢のようだ(18節)
 苦難の日に、裏切り者に拠り頼むことは、
 悪い歯や、なえた足を頼みとするようなものだ。(19節)

 ここでも、隣人に対する「偽りの証言」がいましめられています。人間関係は「信頼」で成り立っていますが、その真価が試されるとき、真実であり続けることができるでしょうか。
 かつてのソビエト連邦の独裁者スターリンは、二千万人を粛正したと伝えられています。模範的な労働者やりっぱな指導者であった人たちが、大量に殺されたのです。その大部分は偽証や密告によるものでした。偽証をしないと自分が危ないというような状況下でも、偽りの証言をしないと言い切れないのが罪ある人間ですね。

★★★★★

 心配している人の前で歌を歌うのは、
 寒い日に着物を脱ぐようであり、
 ソーダの上に酢を注ぐようなものだ。(20節)

 これは、人への「共感力」の問題です。「人の不幸は蜜の味」と言われます。それが、人間の至らなさ・弱さかもしれませんが、それゆえ、このような訓戒を自覚していなければならないのでしょう。
 神への真実な態度、また正しい社交性は、「喜ぶ者といっしょに喜び。泣く者といっしょに泣きなさい」(新約聖書・ローマ人への手紙12章15節)だと、パウロも語っています。







posted by さとうまさこ at 06:32| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする