2016年03月27日

Coffee Break箴言・93  北風は大雨を起こし、陰口をきく舌は人を怒らす。(箴言25章23節〜28節) 



 北風は大雨を起こし、陰口をきく舌は人を怒らす。(箴言25章23節)

 北風と大雨の因果関係については、パレスチナの気候風土は、モンスーン気候の日本とは逆であるようです。台風も梅雨も日本では南からやってきます。いずれにしても、陰口は大雨のように人間関係を冷やします。

 争い好きな女と社交場にいるよりは、
 屋根の片隅に住むほうがよい。(24節)

 筆者は女ですから、「争い好き」は男の方が多い気がしますが、これは、男の守備範囲と女の守備範囲がかなりはっきり分かれていた時代のことで、女の喧嘩の動機や方法が男には「理解できない」場合が多かったのかもしれません。さとう個人としては、「争い好きの男と社交場にいるよりは、屋根の片隅に住む方が良い」と言い換えたいですね。男同士の怒鳴り声や殴り合いは、ほんとうに恐ろしいですから。

 遠い国からの良い消息は、
 疲れた人への冷たい水のようだ。(25節)

 人間は、「良い知らせ」を待ち焦がれている存在ではないでしょうか。どんなに刹那主義者でも、明日「良い知らせ」があると思わなければ生きていけません。疲れていて立ち上がれないほどでも、希望があれば立ち上がり出て行って田を耕します。
 ナチ収容所の極限状態でも、生きのびたのは「希望を持つことができた人」であったと、「夜と霧」の作者フランクルは書いています。
 希望を失くしている人に、「良い消息」を知らせることができる者になりたいと願うのです。じっさいは、テレビでも新聞でもネットでも、「悪い消息」を優先して報道します。そのあとで、刹那的な「楽しみ」をたくさん報道するというわけです。

★★★★★

 正しい人が悪者の前に屈服するのは、
 きたなくされた泉、荒らされた井戸のようだ。(26節)

 正しい人が悪者に負かされるのは、案外ありふれたことなのかもしれません。この世の多くは「力関係」で決まるからです。しかし、そのような事実は人の心を荒すのではないでしょうか。やはり、悪者が正しい人にはかなわない社会、正義が行なわれるのを、だれもが待ち望んでいると思います。
 
 あまり多くの蜜を食べるのはよくない。
 しかし、りっぱなことばは尊重しなければならない。(27節)

 箴言16節と同じ意味の言葉です。どんなにおいしい食物もりっぱな言葉も、自分の消化能力を超えていては腹を下すでしょう。それでも、良い物は良いと認めることは必要です。

 自分の心を制することができない人は、
 城壁のない、打ちこわされた町のようだ。(28節)

 自己啓発の本などには、かならず取り上げられていることばです。自分をコントロールする能力は、「大人力」の大切な要素です。社会生活をしているかぎり、社会の中で自分のことばや態度で周囲との調和を図らなければなりません。不利なことや面白くないことがあっても、思いがけない幸運が舞い込んでも、そのような外部からの波に振り回されない安定した情緒と判断力が必要でしょう。

 しかし、強い安定した心を保つためには、自分より強い方の大きな愛を信じることなくして、難しいのではないでしょうか。
 どんなときにも、神様が共にいて下さる。神様だけはわかっていて下さると思う時、忍耐も広い心も生まれるように思えます。



 


posted by さとうまさこ at 09:18| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする