2016年03月28日

Coffee Break箴言・94  誉れが愚かな者にふさわしくないのは、夏の雪、刈り入れ時の雨のようだ。(箴言26章1節〜12節)



 箴言26章では愚か者に焦点が当たっています。愚か者とは、「知能・理解力が乏しいこと。ばか、あほう」(広辞苑)の意味だそうです。
 今日、愚かという言葉自体あまり使いません。バカ者などというのは、一種の禁句ですから当然です。しかし、実際には、人間は他人との間が「しっくりこないこと」をたくさん経験するのです。箴言では、主を恐れることは知識の初めである。(箴言1章7節)と明言していますから、聖書の文脈では「主を恐れない人は知識のない人」=「愚か者」となると思います。

 誉れが愚かな者にふさわしくないのは、
 夏の雪、刈り入れ時の雨のようだ。(箴言26章1節)

 「愚か者」=「神を恐れない者」に栄誉が与えられるのは危険です。とりわけ、指導者のトップや大富豪、天才的能力のある者は、「神を恐れなければ」ならないのではないでしょうか。神を恐れない独裁者は、やりたい放題になります。スターリンやヒトラーが良い見本です。
 神の声を聞かない愚か者は、悪魔の「のろい」を運んでくるのです。

 逃げる雀のように
 飛び去るつばめのように、
 いわれのないのろいはやって来ない。(2節)

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 馬には、むち。ろばには、くつわ。
 愚かな者の背には、むち。(3節)
 愚かな者には、その愚かさにしたがって答えるな。
 あなたも彼と同じようにならないためだ。(4節)
 愚かな者には、その愚かさにしたがって答えよ。
 そうすれば彼は、
 自分を知恵のある者と思わないだろう。(5節)

 愚かな者と出会ってしまったらどうすればいいのかを、語っています。
 いまの日本では、「やさしさ」は大きな美徳です。いじめっ子にさえ、好かれようとして、ますますいじめられる子どもがいます。過剰適応ですね。いじめっ子は「愚か者」なのですから、そのような相手には、やさしく、親切に振る舞うことはない。むちを当て、ときにくつわを嵌めて相手の暴言を封じるべきなのでしょう。相手が、暴君なら自分もそれにふさわしく対応しなさいと言っているようです。

 キリストは、「右の頬を打つような者には、左の頬をも向けなさい」と仰せになりましたが、これは、新約時代の、しかも、キリストの贖いも恵みも知った大人の態度です。
 幼い子どもや世間擦れしていない娘たちには、「悪魔がいること」や「悪魔への対処の仕方」を教えているべきなのでしょう。

 愚かな者にことづけする者は、
 自分の両足を切り、身に害を受ける。(6節)

 愚か者を信頼していっしょに仕事をしたり、何かを頼んだりしたら「身に害を受ける」というのです。

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 愚かな者が口にする箴言は、
 足なえの垂れ下がった足のようだ。(7節)
 愚かな者に誉れを与えるのは、
 石投げ器に石をゆわえるようだ。(8節)

 石投げ器は、布に石を置いて両端に紐をつけて振り回し、遠心力で投げるのです。砲丸投げ、やり投げ、ハンマー投げのような原理だったようです。石を石投げ器に結わえていては、投げた時に飛び出していきません。そんなわけで、愚か者に与えた誉れは役に立たないというのです。

 愚かな者が口にする箴言は、
 酔った人が手にして振り上げるいばらのようだ。(9節)
 愚かな者や通りすがりの者を雇う者は、
 すべての人を傷つける投げ槍のようだ。(10節)
 犬が自分の吐いた物に帰って来るように、
 愚かな者は自分の愚かさをくり返す。(11節)

 それにしても、愚か者に対してこの容赦のないたとえの数々!! とはいえ、愚か者は自分の中にもいるかもしれず、これらの言葉に反省させられます。
 極めつけは、つぎの言葉です。

 自分を知恵のある者と思っている人を見ただろう。
 彼よりも、愚かな者のほうが、まだ望みがある。(12節)









posted by さとうまさこ at 09:52| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする