2016年03月29日

Coffee Break箴言・95  陰口と憎しみ (箴言26章13節〜28節)



 つぎは、なまけ者です。
 聖書はなまけ者を嫌っています。怠け心もサタンから来る悪の一つなのでしょう。(箴言22章13節、6章6節)
 怠け者の反対は勤勉なものです。聖書では、「手のわざ」と表現されています。(申命記28章)じっさい、古代では人間の生産的活動はすべて「手のわざ」でした。一生懸命手を使って働く人が豊かになったのです。

 なまけ者は「道に獅子がいる。
 ちまたに雄獅子がいる。」と言う。(箴言26章13節)

 これと全く同じ言葉が、箴言6章6節にあります。勝利の機会、収入の機会、祝福の機会があるのに、出て行ってそれを取ろうとしない人はたくさんいます。危険があるからできないというのですが、やりたくない気持ちが先にあって、出て行かない口実を考えているだけです。

 戸がちょうつがいで回転するように、
 なまけ者は寝台の上でころがる。(14節)
 なまけ者は手を皿に差し入れても、
 それを口に持っていくことをいとう。(15節)

 どちらのたとえも辛辣です。ごろごろ動いているように見えても、居場所から動いておらず、その身に何の変化も起こらないということでしょう。そのような者に限って言うのかもしれません。(寝ていても)自分は考えている!

 なまけ者は、分別のある答えをする七人の者よりも、
 自分を知恵のある者と思う。(16節)

★★★★★

 自分に関係のない争いに干渉する者は、
 通りすがりの犬の耳をつかむ者のようだ。(17節)

 ふたたび愚か者について語っています。

 気違いは、燃え木を死の矢として投げるが、(18節)
 隣人を欺きながら、
 「ただ、戯れただけではないか。」
 と言う者も、それと同じだ。(19節)

 愚か者は「主を恐れない者」ですから、悪を働いたことにも気が付きません。人に悪を働いていながら「戯れただけだ」と開き直るような人と関わったら災難です。

 ★★★★★

 愚か者の害悪でもっとも大きなものが「陰口」です。陰口、告口、ゴシップは、ノアの息子ハムが犯した罪でした。(創世記9章20節〜25節)

 たきぎがなければ火が消えるように、
 陰口をたたく者がなければ争いはやむ。(20節)
 おき火に炭を、火にたきぎをくべるように、
 争い好きな人は争いをかき立てる。(21節)

 陰口は人を疑心暗鬼させます。「火のないところに煙が立つ」からです。そして、そこにいつの間にか火の手が上がるのです。
 いまでも、時たま放火で捕まる人がいますが、放火は、人が騒ぎ惑うのが面白くて行う犯罪だそうです。陰口をたたく人も、どこかで、人の騒ぎを期待しているのでしょう。しかし、それが悪魔のたくらみであることは事実です。悪魔の喜びは、「神と人とを引き離すこと」ですが、同時に、神の似姿に造られた私たち人間、神様の御命令を守ろうとする「人と人との間」を引き離すことも、喜びなのです。

 陰口をたたく者のことばは、
 おいしい食べ物のようだ。腹の奥に下っていく。(22節)
 燃えるくちびるも、心が悪いと、
 銀の上薬を塗った土の器のようだ。(23節)

★★★★★

 陰口の深層心理は、憎しみではないでしょうか。腹の底にある憎しみこそ、要注意です。

 憎む者は、くちびるで身を装い、
 心のうちでは欺きを図っている。(24節)
 声を和らげて語りかけても、それを信じるな。
 その心には七つの忌みきらわれるものがあるから。(25節)
 憎しみは、うまくごまかし隠せても、
 その悪は集会の中に現われる。(26節)

 面白半分の陰口はひろがりますが、憎しみはむしろ隠されるのです。
 七つの忌み嫌われるものは、箴言6章に列挙されています。

 主の憎まれるものが六つある、否、その心に、忌みきらわれるものが七つある。
 高ぶる目、偽りの舌、罪のない者の血を流す手、
 邪悪な計画を細工する心、悪へ走るに速い足、
 まやかしを吹聴する偽りの証人、兄弟の間に争いひき起こす者。(箴言6章16節〜19節)

 以下は、神を恐れる者=知恵ある者が導き出した真理です。

 穴を掘る者は、自分がその穴に陥り、
 石をころがす者は、自分の上にそれをころがす。(27節)
 偽りの舌は、真理を憎み、
 へつらう口は滅びを招く。(28節)








posted by さとうまさこ at 08:50| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする