2016年03月30日

Coffee Break箴言・96  自分の家を離れてさまよう人は、自分の巣を離れてさまよう鳥のようだ。 (箴言27章1節〜8節)



 箴言27章の戒めは、人生において私たちが間違いやすい「心や行い」にシフトしています。

 あすのことを誇るな。
 一日のうちに何が起こるか、
 あなたは知らないからだ。(箴言27章1節)

 明日に希望を持たなければ生きていけない人間は、少し良いことがあると「明日も大丈夫」といい気になります。これで富と名声の生涯が続くと安心しても、その生涯が明日には終わるかもしれないのです。

 自分の口でではなく、
 ほかの者にあなたをほめさせよ。
 自分のくちびるでではなく、よその人によって。(2節)

 自慢する人は「鼻持ちならない」とだれでも思います。褒めてもらいたいのは、私たちの本能かも知れません。でも、自分で宣伝するのではなく、人にほめさせよと言う戒めです。
 しかし、ほんとうは人をほめること自体が要注意ですね。複数の人の前である人だけ褒めるのは、褒められなかった人たちに複雑な感情を抱かせます。最初からAにあてつけるため、Bをほめる人もいます。誰もが認める功績を讃えられただけでも、嫉妬を買う可能性があるのです。愚か者はとくに、嫉妬を押さえることができません。

 石は重く、砂も重い。
 しかし愚か者の怒りはそのどちらよりも重い。(3節)
 憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。
 しかし、ねたみの前には
 だれが立ちはだかることができよう。(4節)

 もてはやされていた人が転ぶと、関係のない人まで出て来て石を投げたりします。嫉妬が機会を伺っていたとしか思えません。

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 あからさまに責めるのは、
 ひそかに愛するのにまさる。(5節)
 憎む者がくちづけしてもてなすよりは、
 愛する者が傷つけるほうが真実である。(6節)

 これは「愛のむち」について語っているのではないでしょうか。「良薬口に苦し」ですが、苦い薬でも飲ませることができるのは、愛のある関係です。親子の様な近い関係では、「傷つけ合う」ことは避けられません。それでも、底に愛があるなら真実なのです。

 飽き足りている者は蜂の巣の蜜も踏みつける。
 しかし飢えている者には苦い物もみな甘い。(7節)

 これは、あらゆる動物にとって自然の摂理です。年末年始に奈良公園に行ったことがありますが、観光客の少ない30日には、大勢の鹿が鹿せんべいをねだってしつこく追ってきました。ところが、正月に行くと押すな押すなの観光客がみんな鹿にせんべいを与えるので、鹿はトロンとした目で座り込んでいて地面には踏みしだかれたせんべいが散っていました。飽食している先進国で、捨てられる食料の多さは社会問題になっています。

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 自分の家を離れてさまよう人は、
 自分の巣を離れてさまよう鳥のようだ。(8節)

 私たちはいつか、親の家を巣立って離れなければなりません。しかし、永遠に放浪者になるのではなく、自分の巣を作ることになります。心の中では、自分の育った巣はいつまでも存在しますし、自分が帰って行く場所もはっきりしているはずです。
 親の巣から巣立ちをしたものの、いつまでもさまよう鳥は、やがて疲れ果てて飛べなくなるでしょう。さいわい人間には、心がありますから、からだはさまよっていても心に故郷を抱くことができます。
 さらに、父の家で生身の自分を産み育てたのが、ほんとうは神様だと知っています。
 
 神様さえ忘れなければ、鳥のように彷徨うことはないのは、神の似姿に造られた人間の特権ではないでしょうか。






posted by さとうまさこ at 10:16| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする