2016年05月03日

伝道者の書14、良い名声は良い香油にまさり、死の日は生まれる日にまさる。(伝道者の書7章1節〜9節)

 

  良い名声は良い香油にまさり、
  死の日は生まれる日にまさる。(伝道者の書7章1節)
  祝宴の家に行くよりは、
  喪中の家に行くほうがよい。
  そこには、すべての人の終わりがあり、
  生きている者が
  それを心に留めるようになるからだ。(2節)

 ちょっと皮肉っぽい逆説が続きます。
 香油はお金を出せば買えますが、名声はお金では買えません。とくにここでは、死者に振りかけられる香油について触れているのでしょう。どれほど高価な香油で包まれた遺体も、彼が生前に築いた名声がなければ価値がないのです。
 ふつうは死は忌むべきもので、新しいいのちの誕生は喜ばしいものです。しかし、死は、人生とは何かを考えさせられる絶好の機会ですから、心と足が重くなる喪中の家にこそ行くべきだと言うのです。

  悲しみは笑いにまさる。
  顔の曇りによって心は良くなる。(3節)

 言葉の流れで、喪中の家つまり、悲しみの家に行くのは、笑うより勝るというのです。顔を曇らせるのは知恵を得ることなのでしょう。

  知恵ある者の心は喪中の家に向き、
  愚かな者の心は楽しみの家に向く。(4節)
  知恵ある者の叱責を聞くのは、
  愚かな者の歌を聞くのにまさる。(5節)

★★★★★

  愚かな者の笑いは、
  なべの下のいばらがはじける音に似ている。
  これもまた、むなしい。(6節)

 少しニュアンスが変わります。どの道愚かな者が笑うのは空疎であると形容されています。同時に、知恵ある者も、しいたげや賄賂で心を滅ぼされるのです。

  しいたげは知恵ある者を愚かにし、
  まいないは心を滅ぼす。(7節)

 そうしてまた、繰り返されるのです。終わりは初めにまさるとは、死と誕生を対比しています。たしかに、ことわざも言います。「終わり良ければすべてよし」「棺を覆って価値が定まる」

  事の終わりは、その初めにまさり、
  忍耐は、うぬぼれにまさる。(8節)

 時にはうぬぼれなければやっていけないのが人間でしょうが、自我を殺して忍耐をするべきなのでしょうか。苛立つ時にも、忍耐をするべきでしょうか。

  軽々しく心をいらだててはならない。
  いらだちは愚かな者の胸にとどまるから。(9節)

 すぐに苛立つのは愚か者だとすれば、愚か者でない人など、めったにいないようにも思えるのですが。







posted by さとうまさこ at 10:53| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする