2016年05月15日

伝道者の書26 人は長年生きて、ずっと楽しむがよい。だが、やみの日も数多くあることを忘れてはならない。(伝道者の書11章2節〜10節)



 あなたの受ける分を七人か八人に分けておけ。
 地上でどんなわざわいが起こるかあなたは知らないのだから。(伝道者の書11章2節)

 これも文字どおりに解釈できます。自分が受けた物は、他の人にも分けよと命じられているのです。一節の「水の上に投げよ」に較べれば確実な投資と考えられるかもしれません。あるいは、これは「不正な管理人のたとえ」を意味しているのでしょうか。(ルカの福音書16章1節〜12節)
 もしものために、自分の富を分けておくなんて、とても世俗的な感じがしますが、世を生きる知恵は世にいる限り必要だということでしょうか。
 
 雲が雨で満ちると、それは地上に降り注ぐ。
 木が南風や北風で倒されると、
 その木は倒れた場所にそのままにある。(3節)

 これは、世の中に起きる事の道理を説明しています。風水害を防ぐために事前に防備をするのは当然です。また、災害が起ったら後片づけも当然です。一人ではできないことで、人と協力しなければならないのですから、お金や富も公共の物のように考えるよう示唆しているのです。

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 風を警戒している人は種を蒔かない。
 雲を見ている者は刈り入れをしない。(4節)
 あなたは妊婦の胎内の骨々のことと同様、風の道がどのようなものかを知らない。そのように、あなたは いっさいを行なわれる神のみわざを知らない。(5節)

 人間はつい、知識優先、理屈優先になります。怠けることや、不正を行う場合にも理由をつけたいのです。「雨になりそうだから農作業を止めよう」なんて具合です。けれども、自然現象こそ人間の知識を超えています。
 今では、たしかに赤ん坊が受胎して生まれてくるまでのメカニズムは解明されています。子宮の中の赤ん坊を見ることもできます。DNA鑑定のおかげで、父親を正確に特定することもできます。子どもを作る時期も、計画に従ったのかもしれません。それでも、その赤ん坊がどういう資質や外見をもって生まれて来るかは、神様の主権が決めるのです。
 同様に、私たちの人生も、すべてを私たちが決めることはできないというのです。

 朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。(6節)

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 光は快い。太陽を見ることは目のために良い。(7節)
 人は長年生きて、ずっと楽しむがよい。だが、やみの日も数多くあることを忘れてはならない。すべて起こることはみな、むなしい。(8節)

 私たちにわかることは、「快、不快」「喜び、悲しみ」くらいかもしれません。結局楽しいことを選んで、太陽のある道を選んで歩いていくしかないのかもしれません。予測、計画、期待は外されるとでも言うのでしょうか。そう思えば、人生はむなしいですね。

 若い男よ。若いうちに楽しめ。若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心のおもむくまま、あなたの目の望むままに歩め。しかし、これらすべての事において、あなたは神のさばきを受けることを知っておけ。(9節)

 楽しみや快楽を喜べる時代は、限りがあります。老いて来ると、思う存分飲み食いをしたくでもその能力がなくなります。だから、楽しいことができる間に楽しめと言われているのです。ただし、楽しみの多くは、あとから請求書が来るものです。食べ過ぎも酒も女性も、過ぎると、肉体的な病気を引き起こします。妻以外に子どもを作ったために、余計な苦労を背負い込む人もいます。とうぜん、若いときにあった資産は減っているのです。
 さらに、そうだとしても、「若いうちに楽しめ」なのです。痛みや悲しみを我慢する必要はないのです。どの道、「若さも青春も空しい」のだからと言う伝道者の言葉は、やはり虚無的ですね。

 だから、あなたの心から悲しみを除き、あなたの肉体から痛みを取り去れ。若さも、青春も、むなしいからだ。(10節)







posted by さとうまさこ at 09:53| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする