2016年05月18日

Coffee Break 雅歌1 (雅歌1章1節〜7節)



 雅歌については、「歌の中の歌」といった解説が適切なようです。解説書もそのように記していますし、牧師方の説明にもかならず盛り込まれています。
 私には原語の意味など吟味しようもないのですが、「歌の中の歌」なんて、最上級の褒め言葉です。ことばを重ねるのは、歌だけではなく、卑俗な酒やごちそうや、女や男や、果ては犬猫にまで当てはめてほめ言葉としてつかえる修辞法です。
 とはいえ、「女の中の女」とか「男の中の男」と、最近はあまり言わなくなりましたが。評価から外されていく人たちへの配慮でしょうか。

 ただしぜんに読めば、これは「恋歌」です。それも、かなりセクシャルな感性に訴えて来る恋歌なのです。そのためでしょうか。やはり、どの解説にも、これは男女の愛に仮託した主(神、イエス・キリスト)と私たちとの関係だと、注意を促しています。そうでなければ、聖書に組み入れられるはずがないと考えるのです。

★★★★★

       ソロモンによる(雅歌1章1節)
 あの方が私に
 口づけしてくださったらよいのに。
 あなたの愛はぶどう酒よりも快く、(2節)
 あなたの香油のかおりはかぐわしく、
 あなたの名はそそがれる香油のよう。
 それで、おとめらはあなたを愛しています。(3節)

 日本人はまず、人前で口づけしません。不倫の話しでさえテレビカメラに向かって堂々と告白する時代であり、「セックスレス」などということばも、まるで「停電」と同じレベルで扱われています。なのに、「口づけ」は、禁句なのです。茶化して「チューする」などと使うので、ますます、「口づけ」は品の落ちる行為になっています。

 ですから、雅歌の冒頭から「口づけして下さったらよいのに」なんて出て来ると、モラル的に真面目な聖書読者は、おおむね焦ってしまうのではないでしょうか。人並みに年を食って、もう世俗の圏外にいるさとうも、多少は焦りを覚えます。
 「愛はぶどう酒よりも快く・・・」から「あなたを愛しています」まで、なんだか、気恥ずかしくて「読んでられない」という気になって来るのです。
 やはり、婉曲表現で恋心を歌う方が、読む者も楽であるのが、日本人ではないでしょうか。たとえば、次の有名な一首のように。

   君がため 春の野にいでて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ(小倉百人一首より)

 さて、それでも、これから雅歌を読んでみます。ぜひ、お付き合いくださいませ。

 3節の続きです。

 私を引き寄せて下さい。
 私たちはあなたのあとから急いでまいります。
 王は私を奥の間に連れていかれました。
 私たちはあなたによって楽しみ喜び、
 あなたの愛をぶどう酒にまさってほめたたえ、
 まごころからあなたを愛しています(4節) 

 エルサレムの娘たち。
 私はケダルの天幕のように、
 ソロモンの幕のように、
 黒いけれども美しい。(5節)
 私をご覧にならないでください。
 私は日に焼けて、黒いのです。
 私の母の子らが私に向かっていきりたち、
 私をぶどう畑の見張りに立てたのです。しかし、私は自分のぶどう畑は
 見張りませんでした。(6節)
 私の愛する人、どうか教えて下さい。
 どこで羊を飼い、
 昼の間は、どこでそれを休ませるのですか。
 あなたの仲間の群れのかたわらで、
 私はなぜ、
 顔おおいを付けた女のようにしていなければ
 ならないのでしょう。(7節)







posted by さとうまさこ at 11:19| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする