2016年05月21日

Coffee Break 雅歌4  私はシャロンのサフラン、谷のゆりの花。(雅歌1章12節〜2章6節)



 王がうたげの座に着いておられる間、
 私のナルドはかおりを放ちました。(雅歌1章12節)
 私の愛する方は、私にとっては、
 この乳房の間に宿る没薬の袋のようです。(13節)
 私の愛する方は、私にとっては、
 エン・ゲディのぶどう畑にある
 ヘンナ樹の花ぶさのようです。(14節)

 ああ、わが愛する者。
 あなたはなんと美しいことよ。
 なんと美しいことよ。あなたの目は鳩のようだ。(15節)

 私の愛する方。
 あなたはなんと美しく、慕わしい方でしょう。
 私たちの長いいすは青々としています。
 私たちの家の梁は杉の木、
 そのたるきは糸杉です。(16節)

 余計な解説なしに、雅歌が恋人同士の「相聞歌」であるのがわかります。ことばが翻訳語であり、もとが古代のイスラエルが背景になっている歌ですから、譬えや比喩は、どこか、しっくりこないかもしれません。ありふれたことばなら、「エキゾチック」、また、今はあまり使いませんが「バター臭い」。
 それでも、恋人同士が互いに相手を想い、恋い慕う熱情が伝わってくるのです。

 私はシャロンのサフラン、
 谷のゆりの花。(2章1節)

 女性が自分をイスラエルの肥沃な平原シャロン(新実用聖書注解P924)に咲くサフランや、谷間のゆりの花にたとえています。
 女性の美しさが見えるような比喩ですね。読者が男性なら、胸が高鳴るのではないでしょうか。
 事実、彼女の恋人は答えるのです。

 わが愛する者が娘たちの間にいるのは、
 いばらの中のゆりの花のようだ。(2節)

★★★★★

 私の愛する方が
 若者たちの間におられるのは、
 林の木の中のリンゴの木のようです。
 私はその陰にすわりたいと切に望みました。
 その実は私の口に甘いのです。(3節)

 女性が「いばらの中のゆり」なら、男性は、女性の目に、「林の木の中のリンゴの木」のようと、たとえられています。そして女性は、その男性の横にすわりたいと、率直に訴えるのです。
 それは実現したのでしょうか。
 
 あの方は私を酒宴の席に伴われました。
 私の上に翻るあの方の旗じるしは愛でした。(4節)
 干しぶどうの菓子で私を力づけ、
 りんごで私を元気づけて下さい。
 私は愛に病んでいるのです。(5節)

 じっさいに二人が、どこにいるのかはわかりません。酒宴の席は、寝室でしょうか。あるいは、恋の夢の中のことでしょうか。いずれにしても、「女性は、愛に病んでいる」――「恋の病」であると告白してます。
 恋の炎は、いったん燃え上がると、だれも止めることはできません。愛が渇望するのは強い一体感です。

 ああ、あの方の左の腕が私の頭の下にあり、
 右の手が私を抱いて下さるとよいのに。(6節)

 今日、「抱いてください」という表現が、下品で卑猥なひびきを帯びてしまったのは、テレビなどで大勢の人々に向かって使われるからでしょう。
 けれども、ほんとうに愛する人たちの間だけで使われるなら、これは厳粛で美しいことばなのではないでしょうか。






posted by さとうまさこ at 10:43| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする