2016年05月26日

Coffee Break 雅歌9   あなたは私の心を奪った。あなたのただ一度のまなざしと、あなたの首飾りのただ一つの宝石で、(雅歌4章8節〜16節)



 花嫁よ。私といっしょにレバノンから、
 私といっしょにレバノンから来なさい。
 アマナの頂から、
 セニル、すなわちヘルモンの頂から、
 獅子のほら穴、ひょうの山から降りて来なさい。(雅歌4章8節)
 私の妹、花嫁よ。
 あなたは私の心を奪った。
 あなたのただ一度のまなざしと、
 あなたの首飾りのただ一つの宝石で、
 私の心を奪ってしまった。(9節)
 私の妹、花嫁よ。
 あなたの愛は、なんと麗しいことよ。
 あなたの愛は、ぶどう酒よりもはるかにまさり、
 あなたの香油のかおりは、
 すべての香料にもまさっている。(10節)
 花嫁よ。あなたのくちびるは蜂蜜をしたたらせ、
 あなたの舌の裏には蜜と乳がある。
 あなたの着物のかおりは、
レバノンのかおりのようだ。(11節)
私の妹、花嫁は、
閉じられた庭、閉じられた源、封じられた泉。(12節)
あなたの産みだすものは、
最上の実をみのらすざくろの園、
ヘンナ樹にナルド、
ナルド、サフラン、菖蒲、
肉桂に、乳香の取れるすべての木、
没薬、アロエに、香料の最上のものすべて、
庭の泉、湧水の井戸、
レバノンからの流れ。(15節)

北風よ。起きよ。南風よ。吹け。
私の庭に吹き、その香りを漂わせておくれ。
私の愛する方が庭に入り、
その最上の実を食べることができるように。(16節)

 修辞の上ではほとんど難しいところはなく、ただ、最上の賛辞が続いているのです。「歯が浮くような」喩えであっても、「あばたもえくぼ」であっても、それは、花婿の目には真実だということでしょう。愛というのは、最上の好意なのですから、どんなものでも、愛の光を当てられたら、美しく輝くのです。
妹という言葉が出てきますが、愛人を妹というのは、日本の万葉集などでも同じですね。同じ血を分けた肉親に対する情がオーバーラップされた表現です。

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 カメラの発明、テレビの出現、ネットの普及でビジュアルなものが容易に作ることができて拡散されていきます。これが、ある意味、「美しい」女性像を貧弱なものにしてしまったのではないでしょうか。
 私たちは「美女」「イケメン」などという言葉に、あるパターンの姿を思い浮かべるようになってしまいました。
 顔の肌は「磨き上げられたよう」に滑らかで、目鼻立ちは見本どおりくっきりとしていて、身長体重、シルエットにもある型があって、そのせいで、多くの人たちが型に入ってきたのです。美容整形や化粧や衣装は、すべてその方の方向に沿っています。

 神は今でも、「人はうわべを見るが、主は心を見る」(Tサムエル記16章6節)と仰せになっていることでしょうが、やっぱり、「人に見てもらう」ほうが大切になってしまう。
 それがいけないのではないと思いますが、自分の言葉で、「桜の花のように」とか、「ひっそりたたずむタンポポのように」とか、男性(女性)が、自分の頭の中で想い人の美しさを組み立て直す「想像力」があるかどうかです。
 二人だけの特別な関係が開いていくためには、人は詩人にならなければならない、これはいつの時代でも、通じるのではないでしょうか。
 



 
 

posted by さとうまさこ at 10:52| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする