2016年05月30日

Coffee Break 雅歌13 私自身が知らないうちに、私は民の高貴な人の車に乗せられていました。(雅歌6章11節〜6章13節)



 私はくるみの木の庭へ下って行きました。
 谷の新緑を見るために。
 ぶどうの木が芽を出したか、
 ざくろの花が咲いたかを見るために。(雅歌6章11節)
 私自身が知らないうちに、
 私は民の高貴な人の車に乗せられていました。(12節)

 雅歌6章11節12節は、女性のことばです。結婚する女性が、「知らぬ間に」男性のもとへ連れて行かれる気持ちを、象徴的に現わしたものでしょうか。具体的に、花婿側の迎えが来て、それに載せられる花嫁の昂揚感を思い浮かべることはできますが、映像にするとどうなるのでしょう。

 私が先に書いた小説「ワシュティ」では、ペルシャ王アハシュエロスに見いだされた乙女ワシュティのところに、王が迎えを寄越して王宮に向かう場面を描き込みました。このように、花婿側が女性を迎えにやって来るのは、多くの文化のもとで行なわれていたことです。
 「ワシュティ」の場合は、婚約者から引き離される悲しみのシチュエーションでしたが。しかし、高貴な人にプロポーズされ、その車に乗せられるのは、ふつうは、女性の誉れだったのではないでしょうか。

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 帰れ。帰れ。シュラムの女よ。
 帰れ。帰れ。私たちはあなたを見たい。

 どうしてあなたがたはシュラムの女を見るのです。
 二つの陣営の舞のように。(13節)

 ここはまた、新しい登場人物の声です。婚礼の客人が「帰れ」と呼びかけているというのが、注解書の説明です。その意味は、「客に姿を見せよ」です。(新実用聖書注解・いのちのことば社)
 
最期の二行は、花婿の言葉だと解されています。客があまりにも遠慮会釈なしに花嫁を見つめるのを、なじっているのでしょうか。
 結婚式は、二人の関係を公けにする儀式ですが、花嫁を独占したい男性にとって、多くの視線が花嫁に注がれるのは、耐えがたい苛立ちかもしれませんね。



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posted by さとうまさこ at 09:55| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする