2016年06月02日

Coffee Break 雅歌16 愛は死のように強く(雅歌8章6節) 



 私を封印のようにあなたの心臓の上に、
 封印のようにあなたの腕に付けてください。(雅歌8章6節a)

〈封印〉は円筒状のものや指輪状のもので、自分の所有物であることを示すために土器などに押す、印象のようなものであった。それはよくひもを通して首から下げられた。(新実用聖書注解・いのちのことば社P937)

 つまり、封印というのは、ハンコのように大切なもので、同時にアクセサリーのように身につけられていた物でした。
 女性は、男性に、封印のように大切に思われ、同時につねに男性のそばにいたいと、言うのです。切実でわかりやすいたとえですね。

★★★★★

 愛は死のように強く、
 ねたみはよみのように激しいからです。
 その炎は火の炎、すさまじい炎です。(6節)

 モーパッサンは、「死よりも強し」というタイトルの小説を書いています。高校時代の読書感想文のためにこれを読んだのですが、じつは、とても難しかった記憶だけがあります。また、訳者の後書きに、「死よりも強し」は、聖書から取られた言葉だと書いていたように記憶しています。しかし、それが、雅歌のこの箇所なのかどうかわかりません。
 今から振り返ってわかるのは、高校生は恋愛御法度だったような時代の女子には、恋愛の本質なんかわかるわけもなかったことです。

 この言葉のあとの2行と併せ読むと、愛は、ねたみと背中合わせなのです。それもただのねたみではありません。よみに下るほどの妬み、つまり、死をも恐れないものなのです。
 「その炎は火の炎、すさまじい炎」です。これに照らし合わせると、「はたして、こんにちの世の中に、ほんとうの愛などあるのか」と、ならないでしょうか。

 ネットやPCの普及で、個人的な出会いは数限りなくあるような気がします。
 昔は別世界に住んでいた役者や遊女(売春婦)が、テレビやネットを通して、すぐ隣にいるような錯覚を与えられます。テレビの中で投げキスをしたタレントを見て、自分にキスをしてくれたのだと感じさせる、それは「仕掛け」に過ぎないのですが、このような仕掛けが基準になって、実際に隣にいる女子や男子を見ると、「死よりも強し」と叫びたいほどに、恋い焦がれるのは難しいかもしれません。

 ときおり、ストーカー事件があって、不幸にも「愛する」女性を殺す人がいます。
 けれども、彼が「殺す」のは相手だけであり、自分ではありません。恋がそもそも自分の身を焦がすほどの「現実」でない証拠でしょう。

 小さな贈り物で気を引くような恋は、恋ではないと、雅歌は教えてくれます。
 まさに、全財産を掛ける〈封印〉と引き換えにできる時だけがほんものの愛。でも、そう言われると確かに、困ってしまうのも事実ですが。








posted by さとうまさこ at 10:57| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする