2016年06月09日

Coffee Break 雅歌21 雅歌を読み解く上でB



 楽園でのアダムとエバの関係を考えてみましょう。アダムは楽園の管理者であり、エバはアダムの助け手でした。「夫婦二人だけで、楽園全部の管理なんて大変だなあ」と思うのは、私たちが今見ている「世の楽園」を考えるからでしょう。エデンの園では、悪意ある害虫、悪意ある暴風雨、悪意に満ちた訪問者が楽園を荒しまわることはなかったでしょうから、二人が園の管理のために朝から晩まで、くたくたになるまで働く必要なんかなかったはずです。仕事が終わったら、ぼろ雑巾のようにくたびれて、ただ寝込むだけというのは、まさに「罪の世」の話です。

 二人の仕事は、楽園を歩き回り、神様がお造りになったすべての植物や動物を見て回り、その素晴らしさをほめたたえることだったのではないでしょうか。おいしい果物がいたる所でたわわに実っていたので、お腹が空けば食べることができました。たぶん、それらを手に入れるために、はしごを使ったり、木登りをしたり、地を掘り返す必要さえなかったでしょう。
 と、すれば、二人の仕事は、「愛し合う」ことしかないでしょう。その二人を神様はまちがいなく愛して下さっていたのです。
 彼らには何の心配もなかったのです。いのちは永遠のものでした。なにしろ、園の中央には「いのちの木」があって、その実を食べることができるのです。

「喜び」に水を掛けてくるような「不快」は何もありませんでした。ただ一つだけ、それでも、神様は、彼らに禁止事項をお与えになりました。「善悪の知識の木からは、取って食べてはいけない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ」(創世記2章17節)
 しかし、蛇の姿を取ったサタンが彼らに近づいて来て、エバにそれを食べさせるのです。(同3章1節〜7節)
 その結果、二人は楽園から追放されるのです。

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 神様の命令への違反、楽園追放のいきさつは、さまざまな方が解説して下さっていますから、それらをご覧いただきたいのです。

 はっきりしているのは、堕罪を犯した二人に神様が宣告されたことばです。
 エバには、「あなたは苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる」(同3章16節)
 アダムには、「あなたは一生苦しんで食をえなければならない。(中略) あなたは顔に汗を流して糧を得、ついにあなたは土に帰る」(同3章19節)

 これは、「愛し合うだけが仕事」ではなくなってしまった「世にある人間の姿」を言い得ています。たとえ、どれほどとうとい愛、楽しい愛であっても、愛の生活を維持するために、「顔に汗を流して」働かなくてはなりません。妊娠出産は、女性にとっては大きな負担、ときに招かざる喜びでした。子を産み、家族が増えることが喜びの人にとっても、「死が存在する」世界では、喜びは不安と背中合わせです。

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 今も、そのようなことわざが通用しているのかどうか心もとないのですが、「恋は盲目」です。盲目状態にならないと恋ができないとも言えますが、これはもとより、霊的、または、情動的な面を指しているのは、だれの目にも明らかです。
 大胆に言ってしまえば、楽園でのアダムとエバが愛し合っていた愛は「盲目」の愛でした。「顔に汗を流して糧を得る」心配はありませんでした。この時、まだエバは出産していませんが、仮に出産していても「産みの苦しみ」はなかったはずです。子どもを養う心配も、子供が病気に掛かったり、自分たちが先に死んだりする心配もなかったのです。
 セックスに伴うどのような危惧もありませんでした。

 でも、たぶん、愛の行為は、そのような「完全な安心の中」でこそ、本当の喜びに到達するのでしょう。
 私達が、古来から愛の歌を歌い続けてきたのは、性愛が盲目的な相手への思慕に結びつくためです。

 雅歌はたまたま、ソロモンのような「選ばれた男性」との恋です。でも、だれもが恋をする資格があります。たとえ、自分では弱い小さな者と思い、社会的な評価も、「失敗ばかりしている人」であっても、神様は恋をする資格を与えておられるはずです。エデンの園でのアダムとエバのように、すべてを忘れて互いに愛し合う機会はだれにも与えられているのではないでしょうか。

 でなければ、雅歌が聖書に入れられている理由がわかりません。

 始めに神が天と地を創造した。(創世記1章1節)







posted by さとうまさこ at 10:39| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする