2016年06月11日

Coffee Break 雅歌22 雅歌を読み終わって、愛の効用と誤用



 男と女は、恋し合い、結婚するように方向づけられているのは事実です。
 しかし、性愛はいつの時代も混乱していて、誤用されてきたのです。
 結婚制度が社会の基礎だった時代にも、一夫多妻や遊女(売春婦)の存在は、どの社会にもあったものです。同性愛も不倫もあったからこそ、聖書はそれらを厳しく禁じているのです。離婚については、特別な規定を設けて許可しています。ただ、これらの性規範は、どんどん緩められてきています。

 神は、原始的な仕組みの一部の生物を除き、すべての生物を雌雄一対にお造りになり、雌雄が一体となることで、そのコピーを造ることができるようと設計されました。
 神様の御心は、男女が愛し合う「性的関係」を勧めるものです。その愛は対等で誠実で、生涯二人がひとりであるかのような関係です。

 しかし、悪魔の支配する罪の世の性的関係は、どうひいき目に見ても、神様のお決めになった枠からはみ出してきました。
 自由恋愛、売春、姦淫、同性愛、離婚などは、楽園から追放されたアダムとエバの子どもたちが増え始めたと同時に置き、広がっていたようです。

 主は、地上に人の悪が増大し、その心の計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。(創世記6章5節)
 それで主は、地上に人を造ったことをことを悔やみ、心を痛められた。(6節)
 そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで、わたしはこれらを造ったことを残念に思うからだ。」(7節)

 このあと、主(神様)は「大洪水」を起こされるのです。

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 もちろん、ノアの洪水の原因になった人の罪は、性的ふしだらだけではありません。殺人や盗みは、十戒に記されているとおりです。その前に、創造主以外の神に走ることが戒められています。
 それらの罪は、20世紀の今日に至るも、全く減少している様子はなく、むしろ、氾濫しているようにさえ見えます。

 一夫一婦制を守るシステム、犯罪者をより正確に特定し、処罰する方法なども進歩しています。孤児ややもめ(未亡人)の生活を保障する制度も、それなりに整っています。居住や職業選択の自由はひろがっていますし、選挙で自分たちの統治者を選べるなんて、聖書時代には考えられなかった制度もあります。とりわけ、生業の種類が増えました。
 農業、牧畜、商売などの、一次産業がといわれるものが人の生活を支える仕事だった時代は過ぎ去りました。サービス業が大きなシェアを占め、その中には、あらゆる娯楽産業、旅行業、飲食業、このようなPCやネットのシステムもあって、いまや、世の中を支配しています。神の御心を行なわなければ、宗教も、娯楽・サービス産業に成り下がってしまうでしょう。

 問題は、このような巨大な「資本の論理」のなかで、セックスさえ「産業」になっていることです。今日、批判されても潰されても生まれてくる「性風俗産業」は、個人営業の「遊女」とは比べ物にならないほど大きな罪を犯していて、しかも、大きいゆえにまかり通っています。

 創意工夫された工業製品が100円均一で売られているように、本来、神が御造りになった特別なシステム・性が、たやすく売買されたり、「自由の名のもとに」気軽に提供されるのになっています。
 性体験は、現実であると同時に、からかい、はやすものとなっていて、安っぽいことばで、人の口から口、人の目から目を転がされているのです。男女の体の美しさ、性の喜びなどが、あまりにもたやすく売買されているのです。
 「セックスレス」が「停電」と同じレベルの言葉として、流布するはずです。

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 最近、何人かの有名人が、「不倫」を謝罪する記者会見を開きました。
 「皆様にご心配をかけて」「妻に申し訳ないことをして」「社会をお騒がせして」などということばが、並んでいました。

 でも、「ほんとうにおわびするべき方は、他にいるでしょう!」 と、さとうは突っ込みそうになりました。








posted by さとうまさこ at 10:55| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする