2016年06月15日

Coffee Breakエレミヤ書3、今、わたしのことばをあなたの口に授けた。( (エレミヤ書1章4節〜10節)

 

 次のような主のことばが私にあった。(エレミヤ書1章4節)
 「わたしはあなたを胎内に形造る前から、
 あなたを知り、
 あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、
 あなたを国々への預言者と定めていた。」(5節)

 私たちキリスト者は、神様が私たちを「母の胎内で、組み立てられた」ことを「知って」います。その時から,「神様が胎児の私を見て下さっていた」のも、「知って」います。(詩篇139篇13節〜19節) その時「神様の書物にすべてが書き記され」たというのですから、今の自分の在りようは、じつは、その始まりから定められていたのかもしれません。

 だからといって神様はすべての人に声をお聞かせになって、ある方向に行くようにお命じになることの方が稀ではないでしょうか。
 神はもとより、私たちに多くの自由意志を担保して下さっているのです。選択の余地がとてもたくさんあるように見えるので、人はおうおうにして、「めいめいが自分目に正しいと見えることを」(士師記21章25節)してしまうのです。

 選ばれて神様が声を聞かせられる預言者は、光栄ですが、同時に、非常に厳しい道に置かれるのです。
 モーセも、イスラエルの民をエジプトから導き出すように、神から命じられた時には、激しく尻込みしました。しかし、主がすでに定められている役割を拒絶することはできませんでした。
 神の国の働き人として、モーセのような大きな仕事をすることは、ある意味で神を信じる者すべての憧憬かもしれなせんが、その道がどれほど険しかったかは、出エジプト記に記されているとおりです。サムエルエリヤ、エリシャ、イザヤなど、大預言者の人生は、いずれも、強い大きな仕事で神に仕えていてすばらしいのですが、並の人間には、耐えがたいと思える場面の連続です。

 エレミヤが、とつぜん召命を受けた時に、驚きしり込みしたのは当然です。

 そこで、わたしは言った。
  「ああ、神、主よ。
  ご覧の通り、私はまだ若くて、
  どう語っていいかわかりません。」(6節)
 すると、主は私に仰せられた。
  「まだ若い、と言うな。
  わたしがあなたを遣わすどんなところへでも行き、
  わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。(7節)

 エレミヤは、決して謙遜なふりをしたのではないでしょう。彼は祭司の家の出身です。祭司は世襲制ですが、それでも神に仕える厳しさは、身に染みていたでしょう。預言者と祭司を兼ねる人もいましたが、預言者は神が突然に召されるのですから、いわばフリーランスで働かなければなりません。自由気ままな仕事のいみではなくて、定まった俸給も当てにできないのです。
 厳しく儀式化された祭司の仕事とは違い、神からのことばを受けて、宣べ伝えるのです。
 そのことばは、むしろ世の中に対する警告の場合がほとんどです。相手が王や権力者の場合も、ひるまず伝えなければなりません。

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  彼らの顔を恐れるな。
  わたしはあなたとともにいて、
  あなたを救い出すからだ。
     ――主の御告げ――」(8節)

 言論の自由が保障されていて、みんなが自由に発言しているように見える現代でさえ、顔を出して堂々と、ある主張を発言するのは、容易なことでないのは、テレビなどで有名人や政治家の発言を見ていてもわかります。
 大勢に迎合するならとにかく、大きな流れに警告するのは、至難です。
 そこで、主は、「主の御告げ」と念を押しておられます。

 そのとき、主は御手を伸ばして、私の口に触れ、主は私に仰せられた。
  「今、わたしのことばをあなたの口に授けた。(9節)
  見よ。わたしはきょう、
  あなたを諸国の民と王国の上に任命し、
  あるいは引き抜き、あるいは引き倒し、
  あるいは滅ぼし、あるいはこわし、
  あるいは建て、また植えさせる」(10節)

 神は御手を伸ばしてエレミヤの口に触れられたのです。
 諸国の民と王国の上に、「神の預言者」として任命されたエレミヤは、受けるしかありませんでした。








posted by さとうまさこ at 10:55| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする